津波から助かった大川小の哲也さん(22) 11年間の苦悩と、母校や妹への思い #知り続ける
大川小の展示に疑問
明確な目標をもてず悶々と過ごすなか、昨年7月に大川小が震災遺構として一般公開された。校舎は震災当時のままの形で残され、敷地内の伝承館では被災状況や児童たちの避難経路などがパネル展示されている。哲也さんもあるとき訪れたが、校舎の周囲に立ち入りを禁止する柵が設けられていることに疑問をもった。 「それ以前は命日になると同級生も大川小に来て、鬼ごっこしたりしました。昔のように。でも、今は周りを柵で囲われてしまって、線引きされているようで嫌だ。本来、亡くなった子たちが真ん中にいて、助かった24名の子どもたちが戻って来られる場所でないといけない。私たちはなんで蚊帳の外なんだろう、と感じました」
建物の傷んだ箇所を補強せずにそのままにしていることにも疑問を感じた。 保存について賛否両論あった大川小が残ったことは良かった。だが、それをどう展示し、訪れた人たちに何を伝えるのかというプロセスに当事者である子どもは参加できなかった。そこにもどかしさを感じた。哲也さんが描いているのは、「被災や防災を伝えるためだけの場所」ではない。 「伝えたいことは学校の中のここで誰が遊んでいたとか、ここで俺が怒られたとか、そうした小学校の日常の話。でも、それらは重要とされず、津波にのまれた話ばかり。どっちも大事なんだということが、現状では伝えられていないと思うんです」
亡くなった妹の存在
あの日被災した人や若い人たちで集まり、意見を出し合い、大人も巻き込んで遺構のあるべき姿を考えていく――。それを目的とした今年2月の「Team大川」の設立だった。世界から多くの人に見学に来てもらい、「何か」を与える学びの場であって欲しいという願いもある。 「Team大川」の発足式ではメンバー4人の決意表明のほかに、ゲストのピアノ演奏もあった。式次第に入れたのは哲也さんだった。亡くなった妹の存在があったという。 「只野家では誕生日があると、妹と2人でプログラムを考え、はじまりの言葉、ハッピバースデーの歌、妹のピアノ演奏などの時間を作っていたんです。妹はピアノが上手でした。今回、式次第にピアノ演奏を入れたのですが、妹が自分の中にしっかりいるんだなと感じました」