「『もう大丈夫なんでしょう?』と思われていたら悔しい」ーー「原発の不条理」を書いた劇作家と、飯舘村職員になった元テレビマン、11年目の思い #知り続ける
福島第一原発で深刻な事故が起きてから11年。全村避難を強いられた福島県飯舘村ではまだ、事故前の4分の1しか住民が戻っていない。それでも、破壊されたコミュニティーを再生しようと模索している人がいる。飯舘村職員の大森真さん(64)は「今が正念場」と言う。かつて震災を取材した元テレビマンの大森さんと、大森さんをモデルにした戯曲を書いた劇作家の谷賢一さん(39)に、いまだ帰還困難区域をかかえる自治体の今について語ってもらった。(ライター・川口有紀/Yahoo!ニュース 特集編集部)
フレコンバッグはなくなったけど
今年1月、劇作家の谷賢一さんは、飯舘村職員の大森真さんに会うため、飯舘村交流センターふれ愛館を訪れた。2017年に避難指示が解除(長泥地区を除く)されてから5年。村民およそ5000人のうち、村内で暮らす人は1476人(2022年2月時点)。うち193人は、事故後に転入した新規移住者である。 谷「ぼくが初めて来たころは、いたるところに汚染土の入った黒いフレコンバッグが積まれていましたよね。当時は飯舘に限らずどこもそうでしたけど、やはりショックでした」 大森「ここから見える景色も、向こう側が全部真っ黒だったからね」
谷「こうして、のどかな美しい風景になったのは感慨深いです。でも、ぼくはたまに来るだけですから『(復興が)進んでるな』と思いますけど、大森さんから見るとその進み方はずいぶん違うんでしょうね」 大森「『村』って行政上の単位だけど、そこで生きている人たちの集まりとしての単位でもあるわけだから。そのコミュニティーが11年前に『あなたたちはバラバラになりなさい』と言われたわけで、簡単には戻らないし、もう新しいコミュニティーとして考えなければいけないのかもしれない」 谷さんは2018年から2019年にかけ、福島県双葉町に住むある家族を主人公にした戯曲『福島三部作』を発表。町が原発誘致を決めた1961年、チェルノブイリで事故が起きた1986年、東京電力福島第一原発の事故が起きた2011年と、三つの時代が描かれた作品だ。 谷さんは福島県石川町で生まれ、4歳まで福島県で育った。父親はかつて原発で働いたこともあった技術者であり、母親の親族は今なお福島県内に多く住む。そんな谷さんにとって、原発事故で暮らしを奪われた人たちの苦しみや憤りは他人事ではなかった。