「帰りたい」「帰れない」――原発事故で全町民の避難が続く双葉町 帰還への期待と苦悩 #知り続ける
東日本大震災から11年、被災地で唯一、すべての町民の避難が続く福島県双葉町。ようやく6月以降に中心部の避難指示が解除される見込みで、町民の準備宿泊も始まった。だが、手を挙げたのはわずか15世帯(2月21日現在)。町民の大半は避難先での生活を築いている。すでに自宅を解体した人も。戻る人、戻らない人それぞれの苦しい胸の内を聞くとともに、町の将来を探った。(文・写真:岩波友紀/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
10年10カ月ぶりの故郷
「長く暮らした町だから、やっぱり安心感があるよ」 双葉町に戻り、自宅の居間に座りながら細沢靖さん(77)は目を細めた。10年10カ月ぶりの故郷。4キロ先の福島第一原発で事故が起きるまで、この町で50年暮らしていた。 面積の約96%が帰還困難区域に指定されている双葉町。2年前この一部が特定復興再生拠点区域(復興拠点)となり、早ければ6月にも避難指示が解除されるため、対象の町民は帰還に向けた準備宿泊が可能になった。 細沢さんはそれに申し込み、1月下旬に自宅を訪れた。ただし、もともと住んでいた家は一昨年に解体してしまったため、震災前に人に貸していた築30年の2階建てが今の住居だ。 「久々に戻ったはいいけど、さすがに少し傷んでいたね」 ただしリフォームするほどでもなく、そのままにして一人で暮らしている。
細沢さんは震災前、町内で鉄工所を経営していた。2011年3月11日は隣の浪江町にいて、地震発生後に慌てて自宅に戻ったという。倒れた家具や散乱した食器などを茫然と眺めていると、夜に政府から原子力緊急事態宣言が発令された。翌朝には警察や自衛隊員が来て、「避難して下さい」と強い口調で言われた。 「避難しても1、2カ月したら戻れるだろう。当時は楽観的でした」 友人宅や二本松市の妻の家でしばらく過ごし、3月下旬に同市の避難所になっている体育館に移った。支給された毛布に身をくるみながら、細沢さんはテレビにかじりついた。福島第一原発は双葉町と大熊町にまたがっている。爆発事故の大きさや放射性物質の広がりから、数年は戻れないことを覚悟したという。