昔は「まずいもの」がいっぱいあったーー「天才」プロデューサーが憂う、保守化する食のトレンド#昭和98年
「オモウマい店」は、一種のボーナスステージである
とはいえ、オモウマい店を完全に否定することもできない、と稲田は続ける。 「あれは、一種のボーナスステージだと思うんです。若いころから頑張って、あくせくと働き、そのお店を潰さずにずっと運営してきたから、最後にああいう経営ができるっていう、当然の権利。でもやっぱり同業者の目線からいうと、単純には称賛できないという複雑な思いがありますね。“好き”をモチベーションに、自分の作り出したものを提供するのは個人店の理想。そこには無理がないほうがいい」 飲食業界も、全国的に人材不足が深刻だ。 南インド料理を学びたいと、稲田の会社の門戸を叩く人がいる。稲田自身に惹かれ、求人に応募する人も多いだろう。が、やはり「うちも人材不足ではあります」。タブレットオーダーシステムや配膳ロボットには賛否両論もある。 「飲食ってたぶん外から見ると、おいしい料理を考えて作ることだと、たぶんほとんどの方が思っているんですけど、全体の仕事からいうと、それはほんのわずか、10%以下。ほとんどは“名もなき雑用”なんですよ。とりあえずはその名もなき雑用を、どんどん機械に肩代わりしてもらうっていうことを進めなきゃいけない。AIに頼る以前に、効率化、省力化すべきポイントが飲食店は多すぎるんです」 AIがレシピを開発し、エリアと利用者の「最適解メニュー」を提供する。そんな世界が、やってくる……? 「それは、最後の最後でいいでしょう、と言うか、無理に入れなくていい。飲食業は、つらい長時間の肉体労働ではなくて、あくまで料理に関してクリエイティブなことがしたいという思いからはじめるもの。一番楽しい部分を、AIに譲り渡す理由はないと、僕は思います。理想は、人間がクリエイトしたものを、機械が再現し続けるという状態なのかもしれません」
まだまだ、実現していない店もあります
料理人、実業家、そして作家としても名を上げながら、国内を飛び回る。その働き方はとても自由だ。稲田がこれから目指すものとは、何だろう。 「やりたいと思っていたいろんなことを実現させてもらっている、とても幸せな状況です。今後はひたすらそれを拡大していきたい。だってまだまだ、実現していない店もありますから。そのチャンスを、虎視淡々と、ずっと探っていくだけかな、と」 「チャンス」は、どうしたら掴めるのか。 「『こういうお店がやりたい』ってイメージがあるとします。でもその自分の理想どおりの店をポンと出したからといって、時代や立地にもよるから、決してうまくいくとは限らない。でも『ここでこれくらいの広さのお店をやってください』って言われたら、自分がいくつかあるアイデアの中から、あ、これならもしかしたら、と思ったものを、一回はめてみる……みたいな、そういうことです。だから逆にいうと、お店も本でも何でもそうですけど、何となく『こういうことがやりたいなあ』というものがあれば、当たることがある。だからそういうアイデアは、常にいっぱい持っておきたいという気持ちはあります」 これはどんな業種にもあてはまる、明快なアドバイスだろう。稲田俊輔は、やっぱり「天才」なのだ。 ___ 稲田俊輔(いなだ・しゅんすけ) 1970年鹿児島県生まれ。料理人、飲食店プロデューサー、作家。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。さまざまなジャンルの飲食店をプロデュースし、2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。全店舗のメニュー監修やレシピ開発を中心に、業態開発、店舗プロデュースを手がける。近年はレシピ本、エッセイをはじめ、旺盛な執筆活動でも知られる。「客商売」に注目した『お客さん物語―飲食店の舞台裏と料理人の本音』(新潮新書)が発売されたばかり。 「#昭和98年」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。仮に昭和が続いていれば、今年で昭和98年。令和になり5年が経ちますが、文化や価値観など現在にも「昭和」「平成」の面影は残っているのではないでしょうか。3つの元号を通して見える違いや残していきたい伝統を振り返り、「今」に活かしたい教訓や、楽しめる情報を発信します。