昔は「まずいもの」がいっぱいあったーー「天才」プロデューサーが憂う、保守化する食のトレンド#昭和98年
立ち食いそばは、ダントツで「ゆで太郎」
もう一つ、このところはまっていたというのが「そば」。 鹿児島県出身の稲田は、元来そばよりうどん派。うどん店を営んだこともある。そばはどちらかというと苦手だったというが、ここ数年で開眼。今年の夏、人生最大のブームがきたという。 「個人的には、ごつごつした田舎そばよりも、細くてしなやかな繊細なそばに、しょっぱい汁というのが好き。都内の店はまんべんなく行きますけど、好みは、『室町砂場』と、神田の『まつや』。立ち食い系も、行きますね。それでいうと、ダントツで『ゆで太郎』です。富士そばを中心とするような立ち食いそばって、ジャンルが違うイメージがあるかもしれませんが、ゆで太郎は、老舗のそば屋の系譜、思想というか、世界観の連続性を感じます」 稲田はこんなふうに、チェーン店に詳しい。チェーン店に関する著書もあるくらいだ。 「失礼ながら、最初は仕方なく行ったんです。飲食業って、やっぱり終わるのが遅い。今はそれほどでもないんですが、かつては12時くらいまでキッチンにいて。そこからちゃんとしたものを食べたいとなったら、逆にもうチェーン店くらいしか選択肢がなかったんです。でも、いやちょっと待てよと。『俺はあえてそこへ行って、食べてるんだぞ』っていうパターンに持ち込んだほうが、楽しいじゃないですか。生活も充実するし。いわゆるQOLが上がるみたいな話です。そんなふうに前向きにチャンネルを切り替えた瞬間、いいところがいっぱい見つかって」
昭和的な世界観にとらわれた部分のある「美味しんぼ」
仕事柄、人よりも舌の肥えた稲田だが、いわゆる「グルメ評論家」にはならない。偏りなく、日本の飲食業界をあらゆる角度から分析しているという印象だ。 かつて海外からもたらされる新しい果物やデザートに熱狂、シェフが料理の腕を競うテレビ番組が人気を博し、「グルメ評論家」が活躍した時代があった。グルメサイトが一般的になると、市井にはフーディーと呼ばれる人々が出現。自称グルメが、飲食店を評価する。時にはこき下ろすこともあった。 稲田はこうした一時期のグルメブームに対しても、冷静に眺めていた。 「世の中には、多くの人が好む食べ物があり、それが最大多数、真ん中の最適解です。でもその周縁には違うものを求める人たちがいる。たとえば漫画『美味しんぼ』は、僕も若い頃よく読んで、すごく影響されました。今でも、もっともだなと思う話はいくつかあります。ただ、普通の人たちが食べているものに対して、『あんな企業がごまかしのために作った不自然な食べ物は』とかって断じる話には、『自分たちこそが物知りで正しく食べている、この無知蒙昧な大衆を啓発しなければ』というナゾの使命感を感じます。ピラミッドの上に座っているつもりでも、実際には周縁の民の一意見にすぎない。そんな一部の方々は、昭和的な世界観にとらわれているというか、ちょっと滑稽に見えてしまいます。今の視点からすると、カッコよくはないかなあ、と」