建築の地震対策から考える安全保障論 「柔よく剛を制す」のススメ
「超戦略」における「人間力と文化力」
塑性域における戦略では、攻撃が想定される場合、あるいは攻撃された場合の国民の避難を考える必要もある。ウクライナでも民間人が大量に隣国へと避難しているが、海に囲まれた日本では大量の国民が他国に避難することがむずかしい。そのことは団結しやすいという点で強みでもあるが、人命を救いにくいという点で弱みでもある。 いざという場合には、ミサイルに対する地下壕の整備と同様、タンカーを含めた貨物船に人を載せることとその方法なども検討する必要があるかもしれない。これには、その輸送途中で攻撃を受けないことと、一時的な受け入れ先があることが必要であるが、こうした人道上の保障を得るためには、平時における人間と文化の国際的な相互理解が不可欠である。 局地的具体的な戦闘における作戦を「戦術」と呼び、長期的総合的な作戦を「戦略」と呼ぶが、塑性域における戦略は「超戦略」と呼ぶべき範疇ではないか。 現在の日本は、平時における経済効率を最優先して都市集中が進んだ国で、これは戦争に弱い。大都市がミサイルの攻撃対象となった場合は甚大な被害が生じる。これを防ぐのに三つの方法がある。第一にミサイルを迎撃するシステムであるが、膨大なコストのわりに有効性が限定的である。第二に報復攻撃であるが、これは現在アメリカという外国に頼らねばならず、反撃能力を整えるといっても限度がある。また敵方が報復を恐れない場合には効果がない。第三に敵方に市民生活へのミサイル攻撃を躊躇させることである。これは人道的、経済的、文化的理由によるが、そのためには、避難船への攻撃を躊躇させるのと同様、両国の国民が交流しその人間性と文化を相互理解している必要がある。これが「超戦略」に属する。 ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授は、軍事力や経済力だけでなく、総合的な文化力としてのソフト・パワーの重要性を指摘している。あくまで戦争に勝つことを目的としたアメリカ的な論理であるが、今回のウクライナ戦争でもその重要性が証明された。ここでいう塑性域における戦略を含む「超戦略」はこれに近いが、より幅広い、より柔軟な、より文化的な、平時の活動を重視した考え方としたい。 現代のような、経済と文化と情報のグローバリズムが進み、国家間の相互関係が濃密になった時代、これまでの戦略概念では対応できない。プーチンの失敗の原因もそこにある。特に、ウクライナ戦争で浮かび上がったSNSによる国際広報の重要性、戦争と資源と経済の不可分性は、日本に、単なる軍事費の増額だけではなく、より幅広い文化的な安全保障を考える必要を教えているように思える。 「超戦略」には「軍事力と経済力」のみならず「人間力と文化力」が効いてくる。 一人の人生にも同じことがいえそうだ。力が強いだけ、お金があるだけ、という人間はバカにされる。