RIZINでの役目は終わった──高田延彦61歳が明かす激動の人生 #昭和98年
30年前の1993年11月、“ノールール”のUFC第1回大会が開催され、世界に衝撃を与えた。日本にも総合格闘技の波が押し寄せ、立ち上がったのが日本マット界「最強」の高田延彦(61)だった。プロレス団体の解散、選挙への出馬……激動の人生を歩む中で“400戦無敗”のヒクソン・グレイシーとの一戦にこぎつけたものの、惨敗を喫する。すべてを失くした先に、手にしたものとは何だったのか。そして、初めて明かしたRIZINとの別れ――。(取材・文:二宮寿朗/撮影:近藤俊哉/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
妻・向井亜紀との朝の日課は大谷翔平観戦
男の中の男が出てくると、どうしても称賛を送りたくなる。 それは格闘技の世界のみならず。ことに大谷翔平が偉業を成し遂げると、SNSで熱く反応する高田延彦がいる。MLBのシーズン中は朝起きて、妻でタレントの向井亜紀と一緒にテレビ観戦するのが日課だという。 「彼の一挙手一投足を追っているだけでハッピーな気持ちになるんですよ。緊迫感のある勝負にあっても、大谷さんだからそういう空気が出せるんでしょうね。ああ、楽しいね、きょうも大谷さんで一日が始まったねって」 1980年、17歳で新日本プロレスに入門。平成の格闘王と呼ばれ、ヒクソン・グレイシーと2度戦った高田も還暦を過ぎた。5年前に始めたという柔術は今も続けており、肉体は昔のままにゴツい。レスリングや体操を子供たちに教える高田道場の主宰としての顔もある。 「ここから巣立って世界大会で活躍してくれている子もいます。性格が前向きになって、自信がついたとか親御さんから感謝の言葉をもらうと、多少なりともこの道場が世の中の役に立っているのかな。スタッフたちが一生懸命支えてくれているおかげ。私は何もやってないですから(笑)」 高田道場は設立からはや25年を迎えた。 ヒクソンとの一戦で惨敗を喫した「PRIDE.1」(1997年10月11日、東京ドーム)の後、リマッチに向けて練習拠点をつくることを第一の目的としてつくられた。つまり、あのとき高田が再起を決断していなかったら、きっとここはなかった。