RIZINでの役目は終わった──高田延彦61歳が明かす激動の人生 #昭和98年
ヒクソンに惨敗した26年前の「A級戦犯」語る
ヒクソンと戦いたい。純粋にその気持ちだけが残った。周りも動き出してくれた。日程やルールをめぐって交渉が振り出しに戻るなど紆余曲折の連続だった。遅々として進まない状況に高田もいら立って一度は断念している。それでも何とか対戦実現にまでこぎつけた。 思いが先走って準備不足だったことは否めない。ケガが続き、慣れない減量によってコンディションがベストから程遠い状態で試合当日を迎えることになった。 「正対したときに恐怖を感じました。ヒクソンが黒豹に見えた。どうして俺、こんな獰猛でクレバーな黒豹と戦わなくちゃいけないんだって。どこか冷めた目で自分を見ていました」 結果は推して知るべし、だ。 1ラウンド4分47秒、一瞬のアームバーによって無念のタップ。何もできないままマットに沈んだ。
プロレスの威厳を失墜させたとして高田に対してバッシングの嵐が吹き荒れ、「A級戦犯」という激しい批判にさらされた。 「あれだけの負けだから何を言われても仕方ないです。人前で勝負を決める商売をしている以上、勝てば官軍負ければ賊軍って分かっているつもり。A級戦犯と言われたことも人が評価することだから、それはそれでいいんじゃないの、と。あの試合が終わって1カ月以上、廃人でしたよ、本当に」 外には出られなかった。試合のことが勝手に頭をよぎり、勝手に消えていった。それを打ち消すように酒を浴び、起きるとけだるさだけが残った。
そんなときに試合のオファーが舞い込んだ。身も心もズタズタで、体すら動かしていないのだからすぐに断った。だが、待てよ、と思った。“商品価値”がゼロになったと思っていたが、そうではないと気づかされた。その直後、ヒクソンとの再戦の話が高田の耳に届いた。 「自問自答を繰り返して、数日後に『やらせてください』と。ああ、俺言っちゃったなって思いましたね。だってまだ心はザックリと斬られたままなんだから。もう一人の自分が言うんですよ。『あれだけの負けだぞ。おまえ、普通は受けねえぞ』って」 地位も名誉もなくなって、どこか荷が下りた気もしていた。吹っ切れてもいた。立ち上げた高田道場でトレーニングに打ち込めた。心身ともに初戦とはまったく違う自分がいた。 1年後の同じ日、同じ場所。そしてアームバーによる結末も同じであった。