9年で668社の神社が減少 危機の「祭り」に女性や地域外の人たちの参加、マッチングサービスも #絶滅危惧文化
東日本大震災以降、地域外の協力が盛んに
「地域の過疎化と高齢化により合併ということになりました。今では合併済みの神社はすでに草に覆われ、木が社殿を貫くなど、社は朽ち果てつつあります」 8年前に兼務社の合併手続きを行った北関東の神社の関係者はそう語った。地域の氏子との間でどんな議論があったかについては、口は重かった。 氏子あるいはその地域の人にとって、祭りなどの行事で長く親しんだ神社がなくなることは地域のアイデンティティーの喪失にも近い。 國學院大學神道文化学部教授の黒﨑浩行さんは、「神社やお祭りは地域コミュニティーの再生に貢献しうる」と指摘する。
黒﨑さんは2011年3月11日の東日本大震災以降、岩手、宮城、福島の神社を巡り、復興過程を調査してきた。特に注目したのが祭りの役割だった。 「住民が多数亡くなったり、神社が倒壊・浸水したりするなどして、2011年には祭りの休止を余儀なくされた地域が多かった。しかし、その後は祭りを再開することが復興への第一歩だといった声をよく耳にしました」 ただし、地域によっては、住民だけで祭りを再開するのが難しいところもあった。そうしたところで導入されたのが、地域外の人々を祭りの担い手として確保する試みだった。黒﨑さん自身、2012~2013年に宮城県女川町や岩手県大槌町で神輿(みこし)担ぎや山車引きを手伝った。当初は葛藤もあったという。 「祭りは本来、地域住民のものです。その主体性や継続性を考えると、外部の人間が関与するのは本来好ましくない。しかし、支援する側、受ける側が、祭りを通じて縁を感じる経験にも価値はある。そう考えると、外部の支援が入ることもいいのではないかと思いました」 津波に襲われた宮城県気仙沼市唐桑町の宿浦地区。同地区に鎮座する早馬神社で毎年10月に行われる神幸祭(しんこうさい)も現在は地域外の人々の支援により成り立っているという。
「もともとは宿浦地区の家の長男たちが神輿を担いでいましたが、1990年代には少子高齢化の影響で担ぎ手が減り、祭りの継承が困難になっていたんです。それで気仙沼市の漁協青年部など宿浦地区外の人々に声をかけて早馬神輿会を結成し、日程も多くの人が参加しやすい日曜日に変更したそうです。そのおかげで震災の年も神輿を上げることができ、その後も祭りが維持されています」 こうした地域外の人による神社や祭りへの支援は、いまや全国的なものだ。