能登「集団移転」の悩ましさ 道路が寸断され、豪雨に襲われても同じ地区に住む理由 #災害に備える #知り続ける能登
2024年元日に発生した能登半島地震では多くの住宅が倒壊し、土砂崩れや道路の破損など甚大な被害に見舞われた。1年が経とうとする現在でも復旧は進んでいるとは言いがたい。いまだに多くの被災住民が仮設住宅での生活を余儀なくされる一方、災害公営住宅を建設し、そこに集団移転しようという動きも出てきている。その中の一つ、輪島市門前町浦上地区の取り組みを取材した。(文・写真:ジャーナリスト・小川匡則/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
集団移転を決めた集落
緑生い茂る山々、点在する田畑に静かに流れる川。自然豊かな風景が広がる能登半島だが、全壊した家屋や破損した道路など1年前の激震の痕も散見される。 石川県金沢市中心部から能登半島に向けて約100キロ北上した山あいにある輪島市門前町浦上地区。能登半島北部に位置する面積20平方キロメートルほどの地域だ。もともと浦上村だったが、1954年に合併で門前町の一部となり、2006年には輪島市と合併した。地域には26の集落があり、430人が住んでいたが、集落によっては1、2軒という小さなところもある。 この浦上地区では能登半島地震発災から4カ月ほどして、「集団移転」の話が持ち上がった。発端となったのは同地区で甚大な被害を受けた中屋集落だ。 中屋集落は11軒。浦上地区の中心部から輪島市中心部に向けて国道249号を4キロほど北上したところにある。地震の際、住宅の多くが倒壊し、道路も破損して、孤立集落となった。いまなお浦上地区中心部の公民館からすぐ先の地点で道路が通行止めのままである。そんな状態だからこそ、「集落全体で集団移転をする」という話は早くから出てきた。 中心となって動いたのが同集落11軒の住民の一人、玉岡了英さん(76)だ。輪島市の市議会議員も務める玉岡さんは、こう語る。
「私の自宅は国道から400メートル離れたところにありますが、そのうち280メートルが崩落し、帰れなくなりました。私のところ以外にも同じ集落の7軒で道路が破損し、みんな自宅も全壊か半壊した。とてもじゃないが、ここにはもう住めない。市に尋ねても当分は道路がつくられることはないと。道路建設には何億円もかかるので、市としても『できたら移転してほしい』ということでした」 そこで持ち上がったのが中屋集落としての集団移転の話だった。 発災から1年になろうという現在、能登では集団移転の話は時折上がる。だが、どこの地区でもスムーズに進んではいない。集団移転を実現するのはそう簡単な話ではないからだ。