住民が地域の主役の座に座り直す―。奥能登の自由な交流拠点「本町ステーション」が示す復興の形 #知り続ける能登 #災害に備える
能登半島地震の被災地、石川県珠洲市でも特に被害の大きかった宝立町(ほうりゅうまち)鵜飼地区に、人の出入りの絶えない場所がある。燃料店あとにつくられた「本町ステーション」という交流スペースだ。4月のオープン以来、平均して1、2週間に1度のペースでイベントも開かれる。立ち上げたのは地域に暮らす30代の女性で、「自分たちが生活する場所を少しでも快適にしたい」と話す。いったいどんなスペースなのか。現地を取材した。(取材・文:長瀬千雅/写真:松田咲香/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
地震からポツンと残った建物が住民の自由な交流スペースに
「心のケアと言っても、どうケアしてもらったらいいのかわからないんやと思うんですよね。人の状態は全部別々やし。家だけ潰れたとか、家族を亡くしたとか、その後(家を)直したとか、全員別々やから。ねえ」 珠洲市に住む大森直子さん(68)は、同市宝立町鵜飼にある「本町ステーション」という交流スペースの手伝いをしている。運営にあたる松田咲香さん(38)や宮口智美さん(39)が本業で不在の時などに鍵を開け、誰かやって来ればお茶を出したり、宅配を受け取ったりする。
本町ステーションは4月のオープン以来、不思議な求心力を発揮してきた。 最初は、能登半島地震の被災地の視察にきた人が「何かある」と見つけて入ってきたり、被災地を取材する新聞記者に話を聞かれたりした。そのうちに記事を読んだ人などから「何かできませんか?」と連絡が来て、ミニコンサートやお話の会が開かれるようになった。松田さんの友人知人、観光業に従事する宮口さんが始めた復興支援ツアーに参加した人などからも企画が持ち込まれた。8月には駐日英国大使が訪れて交流会が開かれ、地域の方々にと小型家電などが贈られた。 「避難所や仮設住宅で暮らす人々が、気兼ねなく集まれる空間をつくろう」(松田さん)というもともとの目的を超えて、被災地のために何かできないかという人にとっての“目印”になっている。