31歳で会社員を辞めてイギリス大学院に留学した私が「地獄のような準備期間」を乗り越えて分かったこと
海外留学。言うまでもなく、それは学生だけの特権ではない。 しかし、ビジネスパーソンが海外への社会人留学を考えるとき、「お金をどう工面する?」「今から留学したら、帰国後には何歳?」「そもそも、受験勉強はどうするの?」といった不安や懸念が頭をよぎり、夢のまた夢だと諦める人も多いかもしれない。 【全画像をみる】31歳で会社員を辞めてイギリス大学院に留学した私が「地獄のような準備期間」を乗り越えて分かったこと それらを乗り越え、31歳で海外の大学院への社会人留学を実現させた人がいる。スタートアップで働きながら留学準備や勉強を進めた後、2024年9月からイギリス・ロンドンの大学院に留学している上平田蓉子さんだ。
ネームバリューや「他者軸」での人生選択に疑問
上平田さんが今に至るまでの道は、決してまっすぐではない。中学生のとき、科学雑誌『Newton(ニュートン)』を目にしたことから脳科学に興味を持ち、大阪大学の理系学部から大阪大学大学院・脳情報通信融合研究センターへ。卒業後は博報堂に新卒入社し、理系の思考を生かしたデータサイエンスに従事した。 その後博報堂を退社し、渡米。シリコンバレーで起業準備を進めるも、その最中に自身の使命を日本での活動に見出したことから帰国し、教育系のスタートアップ企業に入社する。2020年から4年間は、成人教育分野での仕事に邁進した。 そんな上平田さんには、今の選択につながるエピソードがある。それは高校生のとき、脳分野の学びを視野に、理系学部の大学への進学を希望したときのこと。当時の彼女の得意科目は英語と国語。さらにその頃は理系に進学する女子が少なく、周囲からは文系のままトップ大学を目指すよう促されることが多かったという。 10代で、社会に出た後のことを想像して進路選択をするのは難しく、かつ自分の意志ややりたいことに反して、ネームバリューや大学の合格実績を基準とした進路を促す周囲との狭間で戸惑う。 「最終的に、私は自分のときめきに従って進路を選びました。 進学後の苦労もたくさんありましたが、“この選択をして本当に良かった”と思えたことが、その後の人生にも影響しています。 博報堂の退職や、起業準備から一転、前職のスタートアップへの入社も、悩みつつ自分や応援してくださる方を信じて踏み出すことができました」 しかし、それはあくまでも上平田さんの場合。歳を重ねるにつれて経験や責任も増え、本音を基準に道を選ぶタイミングは少なくなりがちだ。 未来への見通しの良さや周囲からの評価を切り離して、わざわざ道なき道に飛び込むことが幸せかどうかはその人次第で、「みんながそうするべきとも思わない」と彼女は続ける。 「私は10代の頃から、自らの人間性や過去を受容し、『挑戦する』『挑戦しない』などのあらゆる決断の舵取りをするための、“自分の軸”を形成する教育が十分ではないことに違和感がありました。 日本ではまだまだ、自分の軸を理解するための基盤や、その上で人生をデザインする自由さや仕組みが足りないのではと感じます。 誰もが“自分が主役”の人生を実現すること。そのために義務教育に何らかの形で携わることが、いつしか私の目標であり夢になりました」 そして、彼女は勤務していた会社や副業、プロボノで教育分野に携わり、改めて強く、教育の重要性を認識する。 「前職の仕事には熱狂していました。今も大好きな会社です。 けれど、本気で『誰もが“自分が主役”の人生を生きる世界を実現する』ために、これから何をしていくべきかを改めて考えたときに、今の自分のままでは限界を感じたんです。 義務教育の変革に取り組むには、あまりに教育や省庁・行政の“現場”について無知だと思いました。 同時に、博報堂やスタートアップでどっぷり過ごして培ったビジネススキルを持って、教育と向き合うからこそ、見えることもあるはずと可能性も感じました。