『源氏物語』のきわだった特徴「怨念」 日本文学に充満する都市化のルサンチマン
『源氏物語』のルサンチマン
『源氏物語』において光源氏が訪れる女性の家には、華やかな印象の空間と、寂しい印象の空間が、織り交ぜられるように登場する。宮殿はもちろん華やかさの代表であるが、といってもローマや中国の宮殿に見るような、豪華な装飾に満ちた人工の絢爛ではなく、四季の風情を取り入れた自然の絢爛であるところが日本文化の特質だ。『源氏物語』ではその「華やかさ」と「寂しさ」が、女性のバリエーションともなっているのだが、どちらにも一種の「もの憂さ」が漂っており、それを本居宣長は「もののあはれ」と呼んだのであろう。四季の移り変わりと人生の転変とを重ね合わせた一種の無常観である。それは後の世において、世阿弥の幽玄、利休の侘び、芭蕉の寂びといった美意識に受け継がれ、日本文化の真髄を形成する。 そしてもう一つ、この『源氏物語』にきわだった特徴は「怨念」である。 もちろん恋愛小説であるが、よく読めば各帖に、(主として)女性の激しい恋の恨みがみなぎっているのだ。特に六条御息所の、光源氏が他の女性と結ばれることに対する「嫉妬と怨念」がモノノケ(物の怪)となってストーリーを展開させる。この小説はルサンチマン(怨念)とモノノケ(怨霊)の物語でもあるのだ。 作者紫式部が仕えた中宮彰子の父で、光源氏のモデルともいわれる藤原道長(モデルにはいろいろ説がある)は、3代の天皇の外祖父として最高権力者となり、栄耀栄華をきわめて「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠んだ。しかし現実には、兄の家との対立、天皇たちとの軋轢、相次ぐ娘たちの死などがあり、晩年は病気がちでモノノケの力を強く恐れていたという。 同じ血族の内部において、より天皇に近い立場になろうとする戦いは、実際に血を流す武の戦いにも劣らない熾烈なものであった。考えてみれば藤原王朝も、古代ローマ帝国と同様に、苛烈な都市化のシステムであったのかもしれない。帝政初期のローマにも似た、激しい「血筋の闘争」があったのだ。 奈良時代、平安時代は、日本最初の「都市文明=文字文明」が興隆した時代である。「万葉」には、その成立期における武のルサンチマンが現れ、「源氏」には、その衰退期における血のルサンチマンが現れている。『万葉集』は、漢字を音を表す仮名としてもちい、『源氏物語』は、漢字を変化させた仮名をもちいた。どちらも、中国からの文字=漢字(東アジアの都市化の知的種子)を日本化したところに成立したのである。 『万葉集』は名もない農民と防人の歌をかなりの数含んでいる。これまでに述べてきた都市化のルサンチマンの三つの様態を当てはめれば、「底辺の救済」と「周縁の戒律」に当たり、『源氏物語』は「内部の贖罪」に当たるのではないか。ルサンチマンの三様態は、時の流れに応じて、相互に絡み合いながら表面化する。