パレスティナ問題に考える歴史的ルサンチマン(上) 一神教を成立させたローマ帝国という都市化のシステム
パレスティナ自治区ガザを実効支配するイスラム組織ハマスとイスラエルの大規模な衝突が始まって2ヶ月近くが経過しました。ハマスとイスラエルは11月24日午前7時から4日間の予定で休戦し、同27日にはさらに2日間延長することで合意しましたが、(同29日現在)今後の情勢は不透明なままです。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、時に宗教戦争という文脈で語られることもあるパレスティナをめぐる問題について「都市と建築とその文化について考えてきた立場から、別の見方で解釈したい」と話します。若山氏が独自の視点で語ります。
宗教戦争ではない
イスラエルとハマスの紛争、そしてパレスティナのガザ地区は、悲劇的状況である。 僕らの学生時代は米ソ冷戦の時代と呼ばれたが、ベトナムと中東では冷戦どころか熱戦が続いていた。やがてベトナム戦争は終結したが、中東戦争は、PLO(パレスチナ解放機構)、イラク、イラン、アルカイーダ、IS(イスラム国)、ハマスなど、主役を変えながらも延々と続いている。そこには資本主義陣営 vs 社会主義陣営という構図にはおさまらない長期的な原因があるからだろう。 ハマスからの攻撃を受けたあと、在日イスラエル大使はあるテレビ番組で「日本人には分からないだろうが」と前置きしてその立場を語った。これは長い歴史のある宗教戦争だから簡単には終わらないということで話を終わらせる人も多い。しかし僕はこれを、都市と建築とその文化について考えてきた立場から、単なる宗教戦争としてではなく、人類の都市化とそのルサンチマン、という普遍的なスコープで解釈してみたい。紛争が続く中東の地は、かつてオスマン帝国であり、古代にはローマ帝国であった。
ローマ帝国という巨大で苛烈な都市化のシステム
大手出版社の編集者から「ローマと長安」というタイトルで書いてくれと依頼され、ローマ文明について調べていたとき、ひとつの疑問が頭を去らなかった。「なぜ、あれほど合理主義と現実主義の社会であったローマが、急速にキリスト教に染まったのだろう。近世近代の神秘主義から合理主義への転換(それが文明の進歩であるという概念)に逆行するではないか」という疑問であり、この疑問はその後も僕の頭の中に残りつづけていた。 ローマ文明といえば、都市学の泰斗ルイス・マンフォードが「都市建設業者の文明」と表現したように、道路、水道、競技場、浴場などのおどろくほど高度な都市施設を構築したことで知られている。イタリア半島の小さな街から始まったこの国は、あいつぐ戦争によって領土を拡大し、ついには地中海を中心に、ヨーロッパ、北アフリカ、西アジアにわたる広大な国家を築き上げたが、同時に巨大で永続的な都市インフラを築き上げたのだ。その道路や橋や水路は今も使われている。 最盛期のローマ市民は、属州から送られてくる大量の物資と奴隷を享受し、贅沢三昧の生活に明け暮れる。毎日が豪華な宴会で、満腹になると指を喉に入れて吐き、吐いては食べ、食べては吐くとまでしてその食欲を満たした。性欲についても同様で、3代皇帝カリグラ、5代皇帝ネロ、その母親のアグリッピナなどの行状は「そこまでするのか」とあきれるほど倒錯的である。またローマ市民の大きな娯楽は、剣闘士を猛獣と戦わせることや、戦車競争や模擬海戦といったもので、いずれも奴隷の命をもてあそぶものであった。(参照・若山滋著・『ローマと長安-古代世界帝国の都』講談社・現代新書) ローマ帝国とは、その市民(都市の構成員)が、どこまでも欲望を満たそうとする「巨大で苛烈な都市化のシステム」であったのだ。 またこの国は、宗教的にはギリシャの神々を継承し、建築様式もギリシャ神殿の様式を踏襲した(ローマの建築への貢献は技術的なもの)。ギリシャを征服してからも、学問と芸術はギリシャ人に委ねていたところがあり、そう考えればこの文明は、ギリシャの脳とローマの肉体が一体となった「ギリシャ・ローマ文明」と考えた方がいいのかもしれない。 つまりギリシャの主知主義を受け継いだ合理性がローマ帝国の真髄であり、宗教的にもその盛期までは、西洋においても物語的な多神教が一般的であった。しかしローマ帝国の盛衰を境として、西洋は、同じ絶対神を奉じる厳しい一神教の時代に突入するのだ。