「理解に苦しむものはみんな化け物扱い」――闘い続ける“不死鳥”、美輪明宏の人生
同性愛者だと公言した理由は
雑誌のインタビューで、自身が同性愛者であることを語ったのもこの頃だった。 「記者の方に『同性愛者なんて言っちゃ駄目だ、葬られますよ』と言われたけれど、『いいえ、書いてください。人を殺したわけでも物を盗んだわけでもありません。これは日本の古い歴史で文化ですよ』と答えました。当時は同性愛者というだけで身内にも非難され、ばれたら当たり前のように会社をクビになった。自殺する人もいっぱいいました。とにかくそれを阻止して、非難する者もされる者も間違っていると分かってもらうには、私が公言すれば、わずかでも、プライドを持って生きられる人も出てくるんじゃないかと思ったんです。するとその通り、後からそういった方がぞろぞろと現れました」 しかし世間の多くは美輪のカミングアウトに拒絶反応を示し、人気は急落。再ブレークは1966年に肉体労働者の母子の愛情を歌った「ヨイトマケの唄」の大ヒットまで待つこととなる。 「『メケ・メケ』で有名になって、経済的に楽になってきたと思ったら、父と兄がサナトリウムに入って。人気が陰って仕事もなくなって。父や兄弟たちへの仕送りのために何もかも売り払った時期もありました。作詞・作曲を始めて『ヨイトマケの唄』を歌うと大当たりして、また最高潮が来た。それが陰り始めたかと思うと、寺山修司さんがアングラ(アンダーグラウンド)舞台のお話を持ち掛けてきて、これが大当たり。その後、三島由紀夫作劇の『黒蜥蜴』も大ヒット。ところが今度は病気になった。正が来ると、その後で必ず負が来る。それが同じ分量で互い違いにやってくる。正負の法則ですね」
2018年、美輪は戦後の日本でジェンダーを超え、多方面に活躍した生き方を示したことが評価され、東京都の名誉都民に選ばれた。 「一旦は辞退したんですが、『私みたいな反逆ばかりしてきた人間にどうして?』と言ったら、『満場一致で決まりましたので受けてください』と言われたのでいただきました。東京都でも区によっては同性婚も認めましょうというところも出てきて、『ああ、やっとここまで来たか』と。だいぶよくなりましたよ」