「『スラムダンク』なら神宗一郎」――エンゼルス大谷翔平、「謙虚過ぎる」25歳
「人よりちょこっと野球がうまい、それだけの人間です」 投手と野手の両立という、現代野球の「常識」を凌駕する二刀流への挑戦――それを世界最高峰の舞台で実践する大谷翔平。彼の活躍がきっかけとなり、2020年シーズンからはメジャーリーグで新ルールが採用される。「投手」と「野手」に加え「Two-Way Player(二刀流選手)」での選手登録が可能となるのだ。100年を超すメジャーの「歴史を変えた」男は、どこまでも謙虚な「野球少年」だった。(インタビュー:岩本義弘/構成・文:安藤智彦/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル RED Chair編集部) (※2019年12月の再配信です)
僕には才能はない
「自分自身に才能があるとは思っていません。あるとすれば、好きなことを頑張り切れる才能、でしょうか。野球より面白いことは見つからない。野球のことばかり考えています。逆に好きなこと以外は適当だったりします。整理整頓とかね」 今や人生そのもの、とも言える野球を始めたのは小学2年生の時。兄がやっていた流れで、自然と白球を追いかけるようになった。
「水泳やバドミントンなど、他のこともやりましたけど、そこまでのめり込めなかった。野球は始めたのが早い分、他の子より上手にできた。だからどんどん楽しくなっていったんでしょうね。気づいたら好きになっていた、そんな感じです」 父は社会人野球の元選手だったが、「野球をやれ」と大谷に言うことはなかったという。 「練習しろ、そんなふうに言われたこともないですね。『素振りは1日500回やれ』『これぐらいやらないとプロには行けない』とか、そんなことも言われませんでした。好きな時に好きなようにやってました。常に寝室にバットやボールが置いてあって、何かふと、こういうフォームがいいんじゃないかと思い立って鏡の前で試してみたりとか。今でもそうなんですよ」
そんな大谷が、周囲からの一方的な「アドバイス」にさらされたのは、北海道日本ハムファイターズへの入団が決まり、二刀流への挑戦を明言した時だ。「どっちつかずになる」「投手に専念したほうがいい」……ネガティブな反応も少なくなかった。 「野村(克也)さんや張本(勲)さんとか、僕からしたらおじいちゃんぐらいの年の方に厳しい言葉をもらうこと自体は嫌ではなかったですね。そういう人もいて当然だろうなと思っていたので。『できない、できない』と言われ続けるのは苦しいですが、逆に期待され続けるのもプレッシャーになる。どちらの立場にもそれなりの苦しさがある、そんな経験をできたのは僕にとってすごく良かったと思います」