ミャンマーで拘束 ジャーナリストの北角さんが会見(全文1)Tシャツ1枚のまま連行された
ミャンマーで拘束され、その後解放されたフリージャーナリストの北角裕樹さんは21日午前、日本外国特派員協会主催でオンライン記者会見を行った。 【動画】ミャンマーで拘束・解放 ジャーナリストの北角裕樹さんが会見(2021年5月21日) ※【**** 00:35:30】などと記した部分は、判別できなかった箇所ですので、ご了承ください。タイムレコードは「ミャンマーで拘束・解放 ジャーナリストの北角裕樹さんが会見(2021年5月21日)」に対応しております。 ◇ ◇
5月14日に帰国し、現在は自宅で隔離中
司会:では本日、おはようございます。本日のスピーカーは北角裕樹さんでございます。紹介のほうは省略させていただきますが、1つ、FCCJのほうから案内をさせていただきます。タイにある外国特派員協会と協力いたしまして、今、ミャンマー国内にいる記者のために機材を募集しております。カメラ、パソコン、スマホなど、使える状態のもの、こちらの東京の日本外国特派員協会のほうで集めております。何か寄付できる機材などのある方は月末まで、こちらの協会のフロントのほうでお預かりいたしますので、ぜひご協力できる方はよろしくお願いいたします。 (英語)。じゃあ北角さん、プリーズ・ゴー・アヘッド。 北角:ありがとうございます。フリージャーナリストの北角裕樹です。ミャンマーで政治犯として捕まりまして、5月14日に帰国しました。現在は自宅で隔離中です。今回は日本外国特派員協会での会見の機会をいただきまして誠にありがとうございます。
自宅で警察と軍と入国管理局の部隊に拘束された
私は2014年からミャンマーで記者として仕事をしています。そして2月1日のクーデター以降は主に政治情勢や市民の活動などについて、日本の新聞や雑誌、ニュースサイト、テレビ、また、SNSを通して情報発信してきました。4月18日になりまして、自宅にいたところを警察と軍と入国管理局の部隊に拘束されまして、その後、インセイン刑務所で約1カ月弱、収監されることになりました。 家宅捜索を受けたときに暴力を避けようと、抵抗しないというポーズを取って、1人だけ中に入ってくれないかという話をしたんですけれども、それは認められずに7、8人の係官が私の家のパソコンですとかカメラですとか、そういうものを押収していきました。また、私もTシャツ1枚のまま連行されていきました。 そのままインセイン刑務所に連れていかれるんですけれども、私が一番長くいたところは独房で、4メートル掛ける2.5メートルぐらいのレンガ造りの部屋でした。聞くところによると、イギリス植民地時代からの建物だそうです。独房ではあったんですけれども、ほかの政治犯たちと話ができる時間もありました。そこでお互いの状況ですとか外のニュースを情報交換したり、あと、また、この国の行く末はどうなるんだろうかということについて議論を重ねていました。 政治犯の人たちは非常にお互いに助け合っていまして、食べ物を融通したりですとか、あと、このTシャツなんですけれども、これ、当初、私が服を持っていなかったので政治犯の友人がくれたものなんです。政治犯のほとんどはインセイン刑務所に来る前に軍の施設で尋問を受けていました。その軍の施設では非常に凄惨な拷問が行われていると聞いています。ちょっと後ほどそのことについてはご質問があればお答えしたいと思います。 そんな中で政治犯の人から、私たちは仮に釈放されたとしても、ミャンマーの今の状況では、言いたいことを言ったならばまたインセイン刑務所に逆戻りになってしまうと。なので、あなたが解放されて日本に行くことになったならば、言論の自由がある日本で、ここの状況またはミャンマーで起きている現実を伝えてほしいというように頼まれまして、私はその約束をして出てきました。まだミャンマーには4000人以上の政治犯が拘束されているといわれています。私は解放されたわけなのですけれども、それでまったく問題が解決したというわけではありません。今日はここで、できるだけのことをお伝えしたいと思います。よろしくお願いします。