【Q&A】「ミャンマー民主化の象徴」スー・チー氏ってどんな人?
国軍によるクーデター(2月1日)に端を発し、デモ隊と治安当局による衝突が続いているミャンマー。国軍がいち早く身柄を拘束したのがアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相です。スー・チー氏は同国の“民主化の象徴”と評されることがあり、ノーベル平和賞を受賞したことでも知られています。ニュースに登場することも多いスー・チー氏ですが、どのような経歴を持つ人なのでしょうか。振り返ってみましょう。
Q:スー・チー氏の出自、経歴は?
スー・チー氏は1945年6月19日、ヤンゴンで生まれました。父親のアウン・サン将軍(1947年に暗殺)は英国から「ビルマ」として1948年に独立を果たした立役者の1人です。 スー・チー氏は、英オックスフォード大を卒業後に、英国人の学者と結婚しました。1985~86年には、日本の京都大学で客員研究員だったこともあります。 1988年にミャンマーで民主化運動の機運が高まり、スー・チー氏も同4月に帰国、運動の中心的メンバーとなりました。
Q:なぜ国軍はスー・チー氏を拘束したの?
ミャンマーでは、憲法の規定により、上下両院議席の4分の1が軍人に割り当てられています。また、国軍は、国防や国境担当のほか、内務を担当する閣僚の任命権を持っています。 スー・チー氏が率いる国民民主連盟(NLD)は、この環境下では法改正など思うような改革ができないと判断し、国軍の影響力を減じる憲法改正を目指しました。憲法の改正を公約に掲げて臨んだ2020年11月の総選挙では、圧勝。総選挙後、初めて議会が開かれる予定だった2月1日に国軍がクーデターを起こしたのです。 スー・チー氏は、(1)新型コロナウイルス対策を怠った(2)無線機を違法に使用した――など複数の理由で訴追されています。反発した市民らは数万人規模の大規模デモを展開しました。
Q:スー・チー氏が拘束されるのは初めてなの?
いいえ、これまでも軍部によって拘束・軟禁されてきました。 ミャンマーは、長きにわたり軍政下にありました。民主化運動の中心的役割を果たしてきたスー・チー氏は、1989~2010年の間に計15年ほど自宅軟禁などされてきました。