【Q&A】国軍が「クーデター」ミャンマーってどういう国?
国軍が2月1日にクーデターを起こしたミャンマー。アウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相ら政権幹部は国軍によって身柄を拘束されました。スー・チー氏の釈放や、民主化を求めるデモ隊と治安部隊の間では散発的に衝突が起きており、死傷者も多数出ています。しかし、そもそもミャンマーとはどのような国なのでしょうか? 歴史を紐解いてみましょう。
Q:ミャンマーってどこにあるの?
東南アジアにある国で、東側はタイ、ラオス、中国、南西側は広い地域がベンガル湾(インド洋)と接しています。北西にはインド、バングラデシュがあります。ミャンマーの首都はネピドーです。 公用語はビルマ語で、通貨はチャットです。面積は日本の約1.8倍、人口はおよそ5400万人。鉱物資源や農産品に恵まれています。
Q:「ビルマ」とも呼ばれているの?
「ミャンマー」という国名は、現地の軍事政権の正統性を認めない英国などは使用しておらず、「ビルマ」と称します。しかし、最近では「ミャンマー」と呼ばれることが一般的となっています。スー・チー氏も、どちらの名称が使われるかは問題ではないという立場をとっています。
Q:ミャンマーの歴史は?
チベット・ビルマ語系民族の部族割拠時代を経て11世紀半ば頃に最初のビルマ族による統一王朝(パガン王朝、1044年~1287年)が成立。タウングー王朝、コンバウン王朝などを経て、1886年に英領インドに編入されました。 1941年には日本軍が侵攻し、日本が敗戦する45年まで支配下にありました。ビルマ戦線での戦没者を弔おうと、僧侶となりビルマに残る決心をする日本兵を描いた、竹山道雄の長編小説「ビルマの竪琴」は有名です。 その後、再び英国の植民地となりましたが、スー・チー氏の父親であり「ビルマ建国の父」とも呼ばれるアウン・サン将軍(1947年に暗殺)らの主導で、48年1月4日に「ビルマ」として独立しました。
Q:ミャンマーはずっと軍事政権だったの?
ミャンマーでは軍政と民政が交互に来た経緯があります。1962年に民主体制がクーデターで倒され、国際社会から孤立することとなりました。さらに88年には別の軍政が権力を握り、翌年にはビルマからミャンマーに国名を変更されました。 62年から半世紀続いていた軍事政権は、2011年3月に一端終止符を打たれました。その後、生産拠点としても市場としても経済活動の場として注目が集まっていました。日系企業も一時約400を超えて現地に参入しました。