虐殺の衝撃と今も続く攻撃への慣れ ウクライナ住民が見据える「戦後」 #ウクライナ侵攻1年
その後、ウクライナ軍は反攻を強め、昨年9月には北東部イジューム、同11月には南部ヘルソンを奪還。ロシア軍が劣勢となって戦況は膠着していった。キーウなどでは今もミサイル攻撃が断続的に続くが、侵攻初期に比べれば日常生活のようなものだとアンドリは言う。 「今でも負傷者や死者を目の当たりにするとつらい。けれども、次第に慣れてきているのかもしれない。感情を失ったわけではないが、侵略から国を解放するまで私たちはまだ戦士でいなければいけないのだと思う」
ロシアに“人質”に取られた原発
ウクライナ中南部にあるザポリージャ州。ロシア軍に占拠されたザポリージャ原発がある州だが、州の約6割のエリアは現在もロシア軍に占領されている。ザポリージャでボランティア活動を続けるマクシム・ヴァイナー(30)は淡々とした調子で取材に応じた。 「原発では何も起きていない。でもロシアは、ウクライナ側が何かしてきたら原発がどうなるかわからない、と脅しをかけている。間違いなく脅威だ」
ザポリージャ原発がロシア軍に占拠されたのは昨年3月4日。原発が稼働中だったが、ロシア軍は原発構内を攻撃した。 炎上する原発の映像は世界中を震撼させた。ザポリージャ原発はヨーロッパ最大級の出力を持つとされる。ここで重大事故が起きたら、旧ソ連時代の1986年に起きたチェルノブイリ原発事故以上の被害が出ると目されていた。チェルノブイリ事故はウクライナ人にとっていまだに大きな傷を残す。マクシムの周囲にも事故の被害者がいるという。 「親しい友人の父親が事故の対応に当たっていた。彼は現地に乗り込んで大量の放射性物質を浴びた。そのせいで、いまだに後遺症に苦しんでいる」
だからこそ、ザポリージャ原発が占拠されたと聞いたときのショックは尋常ではなかった。 「ロシアが原発を使って脅し始めたときは、みんな本当に怖がっていた。この戦争を始めたことも狂気としか思えないが、ロシア軍は何をしてもおかしくないと考えていたからだ」 占拠から間もなく、多くの人が他の地域へ避難していったが、マクシムはザポリージャ州にとどまった住民の一人だった。