虐殺の衝撃と今も続く攻撃への慣れ ウクライナ住民が見据える「戦後」 #ウクライナ侵攻1年
併合で閉ざされた脱出への道
筆者がザポリージャを訪れたのは、原発占拠から2カ月近く後の4月下旬。当時、200キロほど離れた都市マリウポリにあるアゾフスターリ製鉄所に避難した住民たちがロシア軍に包囲され、脱出できなくなっていた。住民をどう安全に避難させるかを世界が固唾をのんで見守っていたその頃、訪問したザポリージャの避難民センターで、マクシムと出会った。 ザポリージャの避難民センターは、ウクライナ南部のロシア占領地域から逃れてくる住民が最初に訪れる場所だ。住民たちは避難の際、ロシア軍に攻撃されないように車に白い布を巻き、ロシア語で「子ども」と書かれた紙を貼り付ける。脱出した住民によれば、ロシア軍の検問所はいくつもあり、ネオナチの入れ墨があるかなど、子どもまで裸にして調べているとのことだった。検問所は気まぐれに開いたり閉まったりするので、避難する人たちは車の中で何日も夜を明かさねばならない。
ザポリージャの避難民センターに到着した住民たちはお互い抱擁し合い、無事に脱出できた喜びをかみしめていた。避難者のほとんどが子連れか高齢者連れだった。彼らに話を聞くと、家に爆弾が降ってきた、隣人がロシア兵に殺された、などひどい話ばかりだった。 当時、避難民センターには1日100人以上の避難者がいたが、現在は1日10人くらいに減っているとマクシムは言う。ロシア政府は昨年9月、ドネツク州、ルハンスク州、ヘルソン州、ザポリージャ州の4州をロシアに編入するかを問う住民投票を強行し、一方的に併合を宣言した。そのため、それらの州のロシア占領地に住む住民はウクライナ側へ移動できなくなった。 「住民投票が行われる前の夏には、1日2000人くらいの避難者がザポリージャへ逃げてきた。でも、今は避難してくる人はまずいない」
機能不全の行政支えるボランティア
避難者が少なくなったため、マクシムは街の防空壕を整備する活動を現在行っている。防空壕には、今も「常に50人くらいが生活している」という。 リモート取材の数日前、この防空壕で強く疑問に感じる出来事があったとマクシムは明かす。警察官がマリウポリから避難してきたという高齢男性を防空壕に連れてきて、ここで保護してほしいと言った。この男性は明らかに医療を必要としている様子だったが、警察はボランティアに任せた。それどころか男性に関する書類も何も持っていなかった。マクシムは「これは福祉の仕事、行政の仕事だろう」と批判する。 「私たちボランティアは人を助けたいから活動しているが、無償で予算も給料もない。一方、行政には給料をもらえる職員がいて、福祉のための予算もある。なのに、避難者をボランティアに任せて、行政は何もしない。今に始まった話ではないが、この国の行政はひどい。早くなんとかしなければいけない」