虐殺の衝撃と今も続く攻撃への慣れ ウクライナ住民が見据える「戦後」 #ウクライナ侵攻1年
ウクライナではロシアの侵攻が始まった当日、国民総動員令が発令された。18歳から60歳までの男性は出国が原則禁止されたため、アンドリは家族のいるスペインまで会いに行くこともできない。 「でも家族を守るのは私しかいないから、落ち込んでいるわけにはいかない。空いている日はボランティア活動に勤しんで他の人たちを助けている。すべてはいつか家族と一緒になるためのステップなんだと思うようにしているよ」
自らを鼓舞するようにそう話すアンドリにとって、もっともショックだった体験がある。 昨年2月24日の侵攻開始後、北部から進軍してきたロシア軍はキーウの10キロほど北にまで迫った。3日後、ロシア軍はキーウを陥落させようと近郊の町であるブチャやイルピンを占領。だが、ウクライナ軍は猛反撃を仕掛け、3月末にロシア軍はキーウ近郊から撤退し始めた。筆者がキーウに入ったのはその頃だ。 キーウに到着すると、市内は人通りも車も少なく、食料品を扱う店以外はすべて閉まっていた。ロシア軍が撤退する状況にもかかわらず、警備にあたる兵士の表情は緊張し、街には不気味で重苦しい空気が充満していた。それには理由があった。ロシア軍が撤退した後、ブチャやイルピンで住民の虐殺があったことが報じられ、生々しい映像がSNSやニュースで流れ始めていたのだ。
地下室に並んだ虐殺遺体とにおい
さっそくブチャへ取材に向かうことにした。アンドリと出会ったのはその時だ。 ブチャではあるキャンプ場を案内された。宿泊施設の地下室に下りると、後ろ手に縛られ、銃で撃たれた5人の遺体がそのまま地面に横たわっていた。遺体はすべて男性で民間人だった。アンドリはこのとき初めて、虐殺された住民の姿を目の当たりにし、死体のにおいを感じたという。 「(殺されたのは)兵士じゃなかった。ウクライナ人だから殺されたんだ」 ロシア軍が去ったブチャの町には、激しい戦闘に加え、拷問や処刑のような痕跡が見られた。道端には遺体が放置され、ロシア軍の食べかけの食事の跡も残されていた。筆者もそんな残虐な光景に寒気を覚えたが、ブチャに近いキーウで家族と暮らしていたアンドリにとっては、なおさら衝撃が大きかった。 アンドリはその後もコーディネーターとしてロシア軍から解放された都市や東部の激戦地バフムートなどを訪れ、惨状を目にしてきた。 「でも今思い返しても、ブチャが一番つらい取材だったよ」