虐殺の衝撃と今も続く攻撃への慣れ ウクライナ住民が見据える「戦後」 #ウクライナ侵攻1年
時間に余裕があるとき、アンドリはボランティア活動に参加しているという。今のウクライナ政府は戦争にリソースを取られ、広く国民を助けるだけの余力がないと見ているからだ。 「政府の仕事の多くは、武力で国を守ることと世界へ発信すること。不足している武器や人道的支援、医療支援を訴える。仕事や家を失って困っている民間人を実際に助けるのは民間のボランティア活動。私たちは団結した国民の支援体制を持っていたから、ロシアの侵攻に対応できた」 ロシアの侵攻に対するウクライナのボランティアの対応は早かった。支援物資の運搬から住民の避難支援、前線の兵士たちへの食事提供まで、侵攻を予見していたかのように整った体制で応じた。そして危険もいとわなかった。北部の町チェルニーヒウでは、ロシア軍との戦闘で孤立した住民のために命がけで支援物資を運んだボランティアもいた。そのうちの何人かは車ごと砲撃され、命を落とした。筆者もそんな関係者の話を現地で聞いた。
ウクライナでこうした戦時のボランティア活動が本格化したのは2014年。この年ロシアはクリミアを併合、ウクライナ東部では親ロシア派の武装勢力が独立を宣言、ウクライナ軍と衝突した。この危機に際して、ウクライナではボランティア活動が活発化した。SNSを通じてネットワークを構築し、医療や食料などの物資支援や前線の兵士へのサポート体制を築いた。以後、ウクライナではボランティアの協力ネットワークを9年間維持し、向上させてきた。アンドリは言う。 「もしこの強力なボランティアの後ろ盾がなかったら、この戦争は数日で負けていただろうと多くの兵士が語っていたよ」
国外の3歳息子と妻に会えない
アンドリには妻と3歳の息子がいる。しかし昨春、2人はスペインへ避難し、それ以降は会えていない。 「3歳だった息子がもう4歳になった。戦争で私がもっともつらいのは家族との時間を失っていることだ。これまで2回、家族を戻そうと計画したが、そのたびにロシアからの大規模な攻撃を受け、断念した。家族と一緒にキーウで暮らすのはまだ難しい」