虐殺の衝撃と今も続く攻撃への慣れ ウクライナ住民が見据える「戦後」 #ウクライナ侵攻1年
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から間もなく1年。現地では今も断続的にミサイル攻撃が続く。昨春のもっとも戦況が激しい時期にウクライナに入ったフォトグラファーの八尋伸さんは、その後も現地の人との交流を続けてきた。同胞の虐殺のショックと断続的に続く攻撃への慣れを口にする首都キーウの男性。ウクライナが元から抱える行政の腐敗解消へ向け「戦後」を見据える中南部ザポリージャ州の男性――。ウクライナの現在とこの1年を八尋さんが尋ねた。(文・写真:フォトグラファー・八尋伸/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
ミサイル攻撃のある日常生活
「今日の外の気温はマイナス5度。暖かいほうだ。キーウではマイナス20度になる日もあるからね。暖房が使えなくなったり、水が出なくなったりすると、ボランティアが支援しているよ」 今年1月初旬、首都キーウ在住のアンドリ・オボット(39)はリモート取材の画面越しにそう語った。キーウでは今も空襲警報が毎日2、3回鳴るという。 「警報が鳴ると、建物の地下や地下鉄の駅に避難する。ロシアからのミサイルは基本的に防空システムが迎撃し、空中で撃墜している。ただ、その破片はどこに落ちるかわからないし、ミサイルが着弾してしまうこともある。そうなると、電気や水、暖房などがない状態で数日過ごさないといけない。あれはつらいよ」
ロシア軍の攻撃は昨秋から電力や水道などインフラ施設を狙う傾向が強まっている。冬の気温が零下になることの多いウクライナでは、電力が不足すれば命にかかわる。現在、ウクライナ全土の発電量は総需要の70%ほどの供給にとどまるという。 それでもアンドリは「大丈夫。生活は悪くないよ」と自虐まじりに話す。 「医療も食料品も十分あるし、小売店もレストランもやっている。僕らキーウ市民は、戦争前と変わらない生活をしている。唯一違うのはミサイル攻撃と、ときどき爆発があることだね」 アンドリは映像プロデューサーで、ロシアによるウクライナ侵攻後は海外記者の取材コーディネートで生計を立てている。筆者は侵攻から1カ月後の昨年3月末から5月半ばまでウクライナに入って現地の取材をしたが、その際に彼の協力を得た。