アスリートが「感動を与えたい」という違和感──元フィギュアスケーター・町田樹がいま伝えたいこと #ニュースその後
競技者を引退して今年で10年が経とうとしている。五輪、世界選手権でも活躍した元フィギュアスケーターの町田樹さん(34)。 現在、振付家や解説者としてフィギュアと関わり続ける一方、国学院大学准教授の肩書を持つ研究者として第2の人生を歩んでいる。 「アスリートが『感動を与えたい』と言うのはおかしい」。独特の世界観とワードセンスで「氷上の哲学者」ともいわれた元人気スケーターが繰り出す言葉は、研究者となった今なお、強めの刺激と深い洞察に満ちていた。(取材・文:山口大介/撮影:近藤俊哉/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
競技人生のピークに引退した理由
ただそこに立つだけで往時の姿を思い起こさせる。背筋のぴんと伸びた美しい姿勢、落ち着きと気品を感じさせる表情は、現役時代と変わらぬままだ。プロスケーターも6年前に引退した。もうリンクに立つことはないが、4月27、28日には上野の東京文化会館でバレエ公演に出演する。 「そういう意味では、創作活動や実演活動は続いています」。表現者としての町田樹はまだまだ健在のようだ。 町田さんが引退を発表したのは2014年の年末に長野で行われた全日本選手権、24歳のときだった。その10カ月前にはソチ冬季五輪で5位入賞、1カ月後に埼玉で行われた世界選手権では銀メダルに輝いていた。五輪後の新シーズンでもグランプリシリーズ開幕戦で優勝し、この全日本選手権でも4位。世界選手権代表に選出されるなど、競技人生のピークにある中での決断は、多くのフィギュア関係者やファンを驚かせた。 町田さんは意外な言葉で当時の自分をこう振り返る。 「競技者・町田樹は、いわば泥船でした。このまま競技者を続けていったとしても、体力の衰えなどによって沈んでいくだけ。新しい船に乗り換えなければ、私の人生はじきに立ちゆかなくなることが目に見えていたわけです」
フィギュアの選手寿命は20代半ばから後半で、30歳を過ぎて競技を続けられる選手はほとんどいない。仮にプロに転向したとしても、40歳が限界だ。その後は指導者に転身する道もあるが、そのイスは決して多くない。当時、関西大学の“7年生”だった町田さんの周りは、既に社会人として新たな人生を踏み出していた。氷上の華々しい活躍の裏で焦りを感じたのも無理はない。 10代の頃から「自分にはフィギュアスケートがある」と思うことができた安心感が、いつしか「町田樹-フィギュアスケート≒(ニアリーイコール)ゼロ」という劣等感や不安に変わっていった。 「ところが、どんな船に乗り換えればいいか、すぐには分からなかったです」。脇目も振らずに競技に打ち込んだアスリートに共通した悩みといえるかもしれない。 町田さんが幸運だったのは、大学のある教授からフィギュアとは全く別の世界、研究者の道を勧められたことだ。大学在学5年目のときだったという。 「私の性格、学業に対する姿勢と(レポートなどの)成果物を総合的に見て、研究者に向いているのではないかと言ってくださったんです。博士号の学位を取り、わずかなポストしかない大学教員のポジションを狙うのは、本当にチャレンジングなことですが、先生の力強いご指導で迷いなく次のキャリアに飛び込むことができました」