アスリートが「感動を与えたい」という違和感──元フィギュアスケーター・町田樹がいま伝えたいこと #ニュースその後
メディアにつくられた「氷上の哲学者」のイメージ
「しかし、いつしか『氷上の哲学者』というメディアにつくられたイメージが独り歩きし、違和感を覚えるようになったのも事実です。一度ついたイメージはデジタルタトゥーのごとく、なかなか消えませんから」 メディアの前で語った多くの言葉が「町田語録」としてひとくくりにされたことも、本意ではなかったのかもしれない。しかし、町田さんの口から出る一言一言がファンやメディアを楽しませたのは間違いない。あの言葉の数々はどのようにして生まれたのだろうか。 「インタビューでの応答に工夫を凝らしていたことは確かです。というのも正直に申し上げて、昔から今に至るまで、私という人間はひねくれ者なのです」 現役時代、記者会見やインタビューの場において、「頑張ります」というありふれた返答をすることが嫌いだった。 「頑張るのは当たり前でしょう。私ももちろん『頑張ります』と言うこともあるけど、なるべく自分の心境を具体的に語るとか、例えを使いながら目標を分かりやすく伝えるとか、できるだけ実のある言葉を繰り出そうと心がけていました」
嫌悪感さえある「感動を与えたい」という言葉
もう一つ、当時から「頑張ります」と並んで町田さんが首をかしげてきたアスリートの言葉があるのだという。違和感を通り越して、嫌悪感さえあるという言葉。それが「観ている人に感動を与えたい」である。 「私が現役だった十数年前くらいから『感動を与えられるように頑張ります』ということを語るアスリート、もしくはスポーツ界関係者や政治家が増えたように感じています。東京五輪の招致活動も関係していたかもしれません」 長引くデフレで活力を失い、東日本大震災にも見舞われた日本。そこに「復興五輪」「オールジャパン」を旗印にした東京五輪招致が持ち上がったのが震災のあった11年のことだ。「スポーツの力」といった言葉が多く使われるようになり、アスリートやメディアから「感動を与えたい」「勇気をもらった」というフレーズが頻繁に飛び交うようになった。 これらの言葉を、町田さんが受け入れられなかった理由はどこにあるのか。 「アスリートがいなければスポーツ文化は成り立ちません。これは確かですが、その一方でアスリートのほかにも、競技団体で働く人、用具を製造する人、施設整備に関わる人、さらに観戦してくれる人たちがいて、初めて競技が振興できているわけですから、そういう人たちに対して『与える』という上から目線での発言には違和感を抱いていました」