アスリートが「感動を与えたい」という違和感──元フィギュアスケーター・町田樹がいま伝えたいこと #ニュースその後
研究者として国学院大で教鞭を執る現在
ソチ冬季五輪を目指す傍ら、人知れず大学の単位取得と大学院進学の勉強に励んだ。奮闘のかいあって、14年秋に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科の試験に合格。プロスケーターとして生計を立てながら、修士課程、博士課程と5年間学んだ。そして、20年から国学院大で教鞭を執っている。スポーツメディア論の講義を持つほか、体育の授業でダンスの実技指導もしているという。 研究者となっても、フィギュアで培った知見や問題意識は町田さんの背骨である。その視線は今、スポーツと芸術性の両面を併せ持つアーティスティックスポーツの特殊性に向けられている。例えば、フィギュアをはじめとするアーティスティックスポーツを著作権の観点から考える研究もその一つだ。 「フィギュアスケートはスポーツとアートの間にある『身体運動文化』といわれます。振付家がいて、演者がいて、鑑賞者がいる。この三者関係によって、相対的に価値が決まっていく。つまり、勝ち負けのあるスポーツではあるけれども、一方で芸術作品という性質も備えている。芸術作品は、客観的で統一的な価値基準で評価できるものではありません。このようにスポーツとアートの両義的性質を持っているがゆえに、アーティスティックスポーツにはさまざまな問題が起こりえます」
現役時代から町田さんは他のスケーターとはひと味違う雰囲気をまとっていた。遠征にはいつも書籍を持ち歩き、哲学書やエッセー、小説など何でも読んだ。町田さんの口から発せられる数々のユニークな言葉に、メディアは飛びついた。いつしか「氷上の哲学者」という異名が定着した。 「後になって違う感情が湧いたのですが、正直、当初は『これはおいしい』と思いました。やっぱりメディアバリューはアスリートにとって大事。特に私はソチ五輪候補『第6の男』と言われていて、下馬評ではオッズが一番低かったですから。このオッズをひっくり返すためにはどうしたらいいのかっていうことは、すごく考えました」 羽生結弦を筆頭に、高橋大輔、小塚崇彦、織田信成、無良崇人ら当時の男子フィギュア界は史上屈指の強豪ぞろいだった。当初、町田さんは五輪代表争いでその最後尾にいたのだが、熾烈な代表争いを勝ち抜き、ついには羽生、高橋とともに14年のソチ冬季五輪代表の座を射止めた。