追悼。高校サッカー界の”名将”小嶺忠敏氏が貫いたスパルタの信念と教え子に残した遺産…「監督が楽しんで体を張らないと」
「自信と過信は紙一重」
時代がどんなに変わろうと、教え子たちが悲鳴をあげる走り込みを小嶺さんが課したのはなぜなのか。在学中に2度の選手権制覇を経験し、いま現在はヴィッセル神戸の監督を務める三浦が、突然の訃報に際して発表したコメントのなかに答えはある。 「いまの自分の座右の銘は、高校時代に先生から頂いた『自信と過信は紙一重』です」 耐え抜いた高校の3年間は、卒業後の人生を生きていく上でも自信になる。ただ、慢心や思い上がりが生じれば成長は止まり、人生そのものも狂いかねない。だからこそ「まだまだ」と向上心を抱かせ続けるために、心を鬼にして走れと命じる。 長崎総合科学大付属の選手たちが共有していた思いを、安藤はこう明かした。 「試合結果だけでなく内容もそれほど悪くないときでも、帰りのバスでは常に心の準備をしておくというか、覚悟を決めていました。これから走りがあるぞ、と」 走り込みの意図を振り返るだけでも、サッカーの指導者であると同時に、いや、指導者よりも教育者としての自分を小嶺さんが大事してきた跡がわかる。 例えば長崎総合科学大付属が出場したある全国選手権の期間中に、朝食時に小嶺さんと顔を合わせながら挨拶をしなかった選手がいた。すぐにミーティングを始めた理由を、育成年代全体の指導者に共通する傾向をあげながら、小嶺さんはこう語ってくれた。 「子どもたちには『勝負以前の問題だ』と言いました。朝に顔を合わせたら『おはようございます』と言うのは、一日のコミュニケーションのスタート。これが言えなかったら試合に勝てないどころか『人生終わりだよ』と。サッカーの戦術や技術はどんどん進歩するけれども、日常生活で絶対に変えちゃいかん原則がある。何十年たとうと不変のはずが、いまの若い指導者のなかでは置き去りにされがちなんですよ」 卒業後の人生の方がはるかに長いから、進路にもこだわった。 小嶺さんのもとからは70人を超えるJリーガーが輩出された。ただ、2001年にセレッソ入りした大久保のように、卒業後にすぐプロになったケースは実は少ない。長崎総合科学大付属から2人目のJリーガーとなった安藤も、卒業後のプロ志望を小嶺さんへ伝えてから4ヵ月以上もの時間をへて、ようやくセレッソ入りが発表された。