「10秒前を忘れても、喜びは残る」認知症高齢者が自分らしく生きる手段としての“はたらく” #老いる社会
はたらくきっかけを作ったのは、この日の勤務に同行していた娘のMさんだ。同居する中で、母の認知症による物忘れや被害妄想、暴言、暴力などの症状が増えていき、市の相談施設に行ったところ、認知症の人と地元企業をつなぐ「オレンジ人材バンク」について教えてもらったと話す。 Jさんの暮らす福岡市では、高齢化率の上昇が続き、2040年には4人に1人が高齢者になると予測されている。その中で、認知症の人が自分らしく生きる場の創出のための「オレンジ人材バンク」が2021年からスタートした。地域のためにはたらきたい認知症の人と、はたらき手を求める企業。両者をつなぐ役割を福岡市が担っている。現在参加しているのは、21人の認知症の人たち。Jさんのように企業ではたらいたり、モニターとして企業の商品開発に協力したり、さまざまな仕事がある。娘のMさんがそれを話すと、母から返ってきたのは「やってみたい」という答えだった。 「普段母は、10秒前の出来事を覚えていないこともよくあります。でも、身の回りのことは変わらずできて、残存機能がたくさんある。その力を社会で生かすことで、母が笑顔で過ごせないかなと思ったんです」 Mさんは母について「常に目標を持って生きてきた人」と話す。病院で働きながら大検を受け、准看護師だったところから正看護師の資格を取得したり、第二の人生で自分の店を開いたり。挑戦し続ける母の姿を見てきたからこそ、介護施設でサポートを受けるだけでなく、誰かのために何かをすることが、母の性に合っているように感じたと言う。 現在は、娘のMさんが仕事の合間にカフェベーカリーに同行し、作業を共に行っている。ニンジン1本を切り終えると記憶がリセットされるため、次の1本を切る前に、他のスタッフがもう一度切り方を説明する。仕事の工程を繰り返し伝えるのが決まりだ。 仕事を終えると、はたらいたことを忘れるJさん。娘のMさんは「本当は覚えとってほしいけど」としばらく黙った後、こう言った。「でもそう思うのは、こちらのエゴかもしれないなって。何をしたか忘れても『嬉しい』『充実している』という感情は残ると思うから。その一瞬一瞬を重ねられたら」