アフターコロナの時代に加速する「脳の資本主義」の行方
「脳の冷戦」と「精妙文化」
バイデン氏が大統領になっても、アメリカと中国の対立は続くであろう。「新しい冷戦」ともいわれる。かつての冷戦では、アメリカとソビエトが核兵器やICBM(大陸間弾道弾)など巨大兵器の開発競争を展開し、それが宇宙にまで拡大されたのであるが、その間、世界各地でゲリラ的な代理戦争が勃発し、日本は生活用のものづくり技術に邁進した。いってみればこれらは「手と足の冷戦」であった。 新しい冷戦が、かつての冷戦と異なるところは、代理戦争がないことだともいわれる。では直接戦争になるのか。いや簡単にはならないだろう。それは、あまりにもバカげた選択だ。新しい冷戦には「新しい代理戦争」として「サイバー戦争」が登場した。それは単なるハッキング(クラッキング)だけではなくハイテク技術と製品のサプライチェーンのヘゲモニー争いを含めた広範なものとなりつつある。ファーウェイの問題など、アメリカと中国の新しい情報技術のプラットフォームをめぐる覇権争いもその一つだ。つまりこれは「脳の冷戦」であろう。われわれは今、軍事安全保障、経済安全保障とともに「脳の安全保障」を考える必要がある。デカップリングとはそういうことだ。 日本は米中の争いに参入することより、一歩下がって、そのプラットフォームの利用に注目すべきだろう。一世を風靡したものづくりの技術と、マンガ、アニメ、ゲーム、コスプレといったファンタジー分野の感性は、日本の伝統的な木造建築の精巧な技術と、それを基盤に発達した茶道や花道や俳句や浮世絵という微妙な感性から来るもので、僕はそれを「精妙文化」と呼んできた。アフターコロナでは、デジタル社会への制度改革を進めることは当然であるとしても、同時に、アメリカも中国も不得意な精妙文化の花を咲かせることを考えたい。脳世界では、その母胎としての文化総体(風土的伝統的なものも含む)の重要性が増すと考えている。 さてここでは「脳の資本主義」という言葉を使ったが、今後の脳世界の進展は、これまでの資本主義の概念を超えていくかもしれない。われわれはむしろ、資本主義以後の社会について考える必要があるのかもしれない。もちろんマルクスが考えたのとはまったく違う方向において。 いずれにしろ、脳の外在化は加速する。脳世界は拡大する。そしてその反力も強くなる。くれぐれも「身体と野生」の力と感覚を見失わないことだ。人間が人間でありつづけるために。