アフターコロナとアフタートランプ 脳に対する「からだの逆襲」
就任から現在に至るまで、世間を騒がし続けてきたアメリカのトランプ大統領。このたびの大統領選で民主党のバイデン前副大統領に敗れましたが、いまなお少なくない人々の支持を集めており、アメリカ国内の分断は依然として続いているようです。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は「トランプ大統領の時代は終わっても、アメリカの分断も、世界の自国主義潮流も終わらない」と見ています。そしてそれは新型コロナウイルスの問題と共通する「グローバリズムに対する風土の逆襲である」と指摘します。若山氏が独自の「文化力学」的な視点から論じます。
コロナとトランプは類似の現象
新型コロナウイルスの感染拡大が続いている。ワクチン開発に関する朗報も届いているが、今後どのような展開があるかまだ不明である。トランプ氏がアメリカの大統領であることは、もうすぐ終わるであろうがハッキリはしない。そしてアメリカ人の半分近くが彼を支持したという事実は終わらない。 「コロナとトランプ」。危険なウイルスとアメリカ大統領を並べて論じるのははばかられるが、これを疫病でも人格でもなく、最近世界に現れたきわめて「特徴的な事件」として扱いたい。そのあと(アフター)にどのような展開がまっているのかに興味が集まるのも当然だ。今のところ、アフターコロナは、テレワークが浸透するデジタル社会になるといわれ、アフタートランプは、特に日本では、中国との関係で語られることが多い。 しかしこの二つの現象の背後には、同じタイプの要因があり、そのアフターも、その視点から考えることが可能ではないか。その要因とは、人類の歴史における、都市化に対する「風土の逆襲」、あるいは脳に対する「からだの逆襲」という概念である。
コロナが露呈させた「風土の逆襲」
新型コロナウイルスの急速なパンデミックは、世界の観光地への異常な人口集中が続いていた状況で起きたことは前に書いた。いわゆるオーバーツーリズムで、グローバル現象の一つであるが、この大量の人の移動と集中によって、特定の風土の中に閉じ込められていたウイルスが、あっというまに世界に拡散したのだ。 第一次世界大戦の終わりごろから世界に広がったいわゆるスペイン風邪(インフルエンザ)も、大陸をまたぐ大量の人(兵)の三密状態での移動がもたらしたものだ。輸送機関と情報網の発達が大量の人間を移動させ集中させる。すなわち急激な都市化によって、それまでの生物と風土の緊密な関係が破断したのである。 新しいウイルスのパンデミックは、人類の(特に中国の)急速な都市化に対する「風土の逆襲」といえるのではないか。 今後、人間そのものの移動と集中はしばらく制限されることになるだろう。一方でインターネットによる、ビジネスと文化のグローバル化は進むので、かつての修正資本主義に似た「修正グローバリズム」の時代になると前に書いた。 日本では、公共機関のデジタル化の遅れが露呈し、菅政権はデジタル庁を新設して、これをテコにあらゆる行政組織の改革を進めるという。企業はテレワークを定常の業態に組み込もうとしている。またズーム会議やオンライン飲み会も一般化している。しかし同時に、コロナ鬱(人間の直接的な触れ合いのない孤独感)やデジタルデバイド(情報格差)の問題も顕在化している。修正グローバリズムの時代、デジタルに対する人間的な(アナログの)抵抗も強くなるに違いない。