アフターコロナの時代に加速する「脳の資本主義」の行方
脳と心
ルネ・デカルトの心身二元論に象徴されるように、従来「心」と「身体」は人間を構成する二つの要素とされ、その関係を解明することは哲学の重要な課題の一つであった。しかし脳に関する知見が進んだ今では、むしろ「脳」と「心」の関係を解明することが課題になっているようだ。事実われわれは、これまで心の働きとされていた怒りや喜びなどの感情が、主として脳の機能によると理解している。 僕としては、脳は身体の一部位であり(現在はその細かい部分と機能との対応関係の研究が進んでいるのだが)、心は脳の内奥を中心として身体の他の部位も加わった統合的連続的な「機能」であると考えている。時代とともに外在化するのは、主として大脳の機能すなわち個々の記憶や論理であり、心は、大脳が外在化した脳との関係を深めることに嫉妬し怨念を抱く傾向がある。それが「脳に対するからだの逆襲」として現れるのではないか。いってみれば「心」は、外に向かう大脳の力に対する内に向かう力すなわち「求心力」であり、むしろ「からだ」の側にあるということになる。 脳科学者という言葉が一般的になったのは比較的近年のことだ。その元祖のようにいわれる養老孟司氏は本来解剖学者である。建築学会の全国大会で講演をお願いしたので面識があるが、好感のもてる人柄だ。最近マスコミに登場する脳科学者たちは、昔なら心理学とか社会学あるいは文化人類学といわれた分野のことを話しているような気がする。タレント化したコメンテイター風の人もいる。 こういった現象はおそらく、身体の一部としての脳の医学的、自然科学的な領域と、記憶・思考・判断・感情といった脳の機能の心理学的、社会学的、文化人類学的領域とが一体に論じられるようになったからで、これもコンピューターやAIなどの発達と並行する現象ではないだろうか。面白いものだ。人間の脳に似た働きをもつ機械の発達が、逆に人間の脳に関する知見を変化させ拡大させているのである。