アフターコロナの時代に加速する「脳の資本主義」の行方
心の世界(宗教)・自然世界(科学)・脳世界(電子情報)
「神は死んだ」というフリードリッヒ・ニーチェの言葉が象徴的だが、中世から近代への変化を「宗教の時代」から「科学の時代」への変化ととらえることは一般的である。そして僕は、今日のコンピューター技術の発展は、従来の自然科学とは少し異なる知的領域を拡大しているのではないかと感じている。もちろん電子工学や情報工学が基本となっているのだが、たとえばGAFAといった企業は、ニュートン(運動方程式)ともラボアジェ(質量保存則)ともアインシュタイン(相対性理論)とも無縁な人々によって起業され運営されているようだ。このいわゆるIT(電子情報技術)の特にソフトウエアの世界を、自然科学以後の世界と考えることはできないだろうか。 「コンピューター」という言葉は「計算機」の意味であるが、現在では中国語の「電脳」の方がピンとくる。つまり「電子による脳」なのだ。それがインターネットでつながるのは、人間の眼前に電子脳の都市空間(サイバー都市)が広がったことになる。リアルの都市空間は限界が来ているが、サイバー都市は際限なく拡大していく。さらにその端末機器がモバイルからウエアラブルへと変化し、脳のサイボーグとなる感覚だ。つまり「脳世界」の成立である。人工知能(AI)は急速に機械学習(人間がいなくても自動的に進化する)を続けているので、脳世界は次第に人間の手を離れていく。 そう考えれば人間の知の歴史は、「心の世界(宗教)の時代」から、「自然世界(科学)の時代」へ、そして「脳世界(電子情報)の時代」へと変化しているのかもしれない。
「手と足の資本主義」から「脳の資本主義」へ
18世紀イギリスにおける鉄の量産と蒸気機関の発明によって、製糸や織布などを中心とする大量生産工業が始まり、蒸気船と汽車が動き出し、人と物が大量に移動する世の中となった。第一次世界大戦は、戦車や戦闘機や爆撃機といった内燃機関(エンジン)をもつ輸送機器が人を殺す戦争であった。そしてアメリカのベルトコンベアから生み出されるT型フォードが世界の道路を走りまわるようになる。機械が人間の手と足の代わりをしたのである。 こういった機械産業の進展を批判して、カール・マルクスは『資本論』を書き、チャールズ・チャップリンは『モダン・タイムズ』を撮った。資本主義は初めから強い反力とともに進んだのだ。もちろん書籍や雑誌が大量に出版されるようになったので、脳の外在化は加速されたのであるが、20世紀前半までの資本主義は、いわば「手と足の資本主義」であった。 しかし第二次世界大戦後、テレビとコンピューターという電子情報機器の登場によって状況が変わってきた。子供のころ、テレビの民放放送がタダで視聴できることが不思議で、コマーシャルというものの価値を説明され、テレビのもつ洗脳的な力がとても大きいことを感じた。つまり人間の目と耳にうったえる電子情報が資本主義を動かすのだ。マーシャル・マクルーハンは文字の時代から映像と音声の時代へというメディアの変化を論じた。テレビによって資本主義は一歩脳に近づいたのである。 テレビとほぼ同時期に登場したコンピューターは、初期のうちはまさに「計算機」であり、高層ビルの構造計算には大いに役立った。僕が大学院に進めたのはその夜間の計算機オペレーターが高額のアルバイトだったからだ。大学院でもバイト先でも入力用パンチカードが乱舞していた。設計事務所を経て大学の教官となったころにパソコンが現れた。それは計算機というより個人の相棒のようなもので、自分の脳の一部が外部に移されるような感覚をもった。個人的な脳の外在化だ。 その基本的なソフトウエア(OS)を提供するマイクロソフトとアップルが世界的な企業になる。そしてインターネットとAIの登場である。考えてみれば20世紀の後半から、「手と足の資本主義」は「脳の資本主義」に変化しているのだ。 また温室効果ガスによる気候変動や(それに関連する可能性のある)新型ウイルスの問題は、まだ増えつづけている地球人口のすべてが、アメリカ人的な大量生産・大量消費の生活スタイルを享受するのは無理な相談であることを示している。人間そのものを減らすか、生活様式を変えるかどちらかであるが、もちろん人間にできることは後者だ。これまでの文明のイメージを変え、生活様式を変え、資本主義の方向性を変えることが必要になっている。大量生産、大量移動、大量消費という資本主義から、より内的な資本主義へ、量より質の資本主義へと転換することである。知的創造的ビジネス、科学、技術、芸術などの知性と感性を高め、深める方向、すなわち「手と足の資本主義」から「脳の資本主義」に転換することである。 地球に限界が来ている今、人間に残されている「未知」は、宇宙とともに「脳世界」ではないだろうか。温暖化問題の解決に向かうためにも「脳の資本主義」は加速せざるをえない。