ああ、もう軍人にならなくていいんだ--山田洋次91歳、創造の原点と戦争体験 #戦争の記憶
年をとっているけどさ、まだたくさん仕事をしたい
戦後日本は復興を遂げ、経済大国となった。70年代、80年代は『寅さん』シリーズの黄金期。「あの頃は夢中だった」と山田は振り返る。 「70年代というのは、日本の労働者も、学生たちも、政治に対して自分たちの主張をしていたよ。自分たちの力でこの国を変えるんだという可能性を信じていたと思う。それが90年代に入ってから、だんだんと、後ろ向きになってきたような気がする。今は、さらに荒涼とした時代だね」 90代になった今、映画館へ行くたびに、強く感じることがあるという。 「上映前に、今はいろんな注意をされますね。大声で喋るな、前の席を蹴るな、飲み食いするなとかね。で、それをみんなハイハイと大人しく映画を見ているんだけど、そのこと自体が、この国は不幸だという気がするね。もっと元気よく映画を観てほしい。大声をあげて、『いいぞ!』って叫んだり、拍手を送ったりしていいんだよ。一事が万事、いろいろ顕れていると思うんだ、日本人の元気のなさが。ネットで悪口は言うんだね、いじめることだけはよくやってるんだけど、面白いね、楽しいねと共感を求め合う、そう言う意味での連帯感が希薄になってきていると思う」
70年代、映画で体験した笑いの渦。それをもう一度蘇らせたい。 山田には、そんな夢がある。 「僕、年をとっているけどさ、まだたくさん仕事をしたいと言う気持ちだけはある。物語や芝居を作りたい。できることならば、観客がウワーッと大声で笑って、喜んでくれるような、そんな脚本、戯曲を書きたい。渥美清さんも、青春時代に舞台でそういう体験をしたと話してくれたことがある。マッチで火をすったらバアッと燃え上がりそうな、客席に熱気が充満することがある。そうなると、何を言っても観客が喜ぶ。芝居はどんどん脱線していつまでも終わらない。そういうことが、時々起こるんですよ、って。今はそんなこと考えられないけど、でも、夢として、そんな劇場、そんな日本人でありたいなと思う」 ____ 山田洋次(やまだ・ようじ) 1931年生まれ、大阪府出身。映画監督、脚本家、演出家。1954年、東京大学法学部を卒業。同年、助監督として松竹に入社。1961年、『二階の他人』で監督デビュー。1969年、渥美清主演の『男はつらいよ』シリーズ開始。他に代表作として『家族』、『故郷』、『同胞』をはじめ、第一回アカデミー賞最優秀監督賞など6部門を受賞した『幸福の黄色いハンカチ』、『息子』、『学校』など多数。9月1日、吉永小百合と大泉洋が親子役で初共演となる最新作『こんにちは、母さん』が公開される。また10月には、脚本・演出を手がける『文七元結物語』が歌舞伎座で上演予定。 「#戦争の記憶」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。戦後80年が迫る中、戦争当時の記録や戦争体験者の生の声に直接触れる機会は少なくなっています。しかし昨年から続くウクライナ侵攻など、現代社会においても戦争は過去のものとは言えません。こうした悲劇を繰り返さないために、戦争について知るきっかけを提供すべくコンテンツを発信していきます。