「彼らは家族」戦地ウクライナの日本人写真家 自宅売却し“移住”を決めた理由 #戦争の記憶
ウクライナの東部国境地帯、ロシア軍との激しい戦いが続くバフムト近くに暮らす日本人写真家がいる。大阪府出身の尾崎孝史(57)。テレビ番組の映像編集が本業だったが、やりがいを持てる仕事が減っていった。そんなとき、ロシアがウクライナに侵攻したと知ると現地に渡航。そこで出会った牧師に惚れ込んだことが、人生を変えた。牧師が結成したボランティア団体に加わり、一日に何度も空襲警報が鳴る町に移り住んだ。日本での生活に区切りをつけ、クラスター爆弾が飛び交う戦地に暮らし続ける写真家の決意とは。 (文・映像・写真/ジャーナリスト・新田義貴/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部/文中敬称略)
戦闘最前線での支援活動
ウクライナ東部ドネツク州。ここにはロシア語を話す親ロシア派住民が多く暮らし、分離独立を目指す親ロシア派武装勢力とウクライナ軍との間で2014年から戦闘が続いてきた。22年2月からのロシア軍の侵攻では戦闘の最前線となり、全ての住民に退避命令が出ている。今年の7月初め、ウクライナ軍による反転攻勢の中、欧米から供与された最新の戦車を乗せたトラックが幹線道路を走り回っていた。 尾崎が暮らすのは、激戦地バフムトから30キロ離れたスロビアンスクという町だ。朝8時半、尾崎は町外れのボランティア事務所にいた。彼が所属するのは「マリウポリ聖職者大隊」。ロシア軍占領下のマリウポリから避難してきたキリスト教の牧師たちが結成した。ザポリージャに本部を置くこの団体のスロビアンスクの事務所には、尾崎を含め3人が常駐する。リーダー的存在のサーシャ、アシスタントの若者ニキータだ。 「神よ、私たちを邪悪な者よりお守りください」。朝の祈りを終えると、3人は支援現場に向かった。途中、山を越える峠で車を停め、防弾ベストを着ける。ここから先は戦闘の最前線。ロシア軍の砲撃が激しく、防弾ベストは欠かせない。 出発から2時間、シベルスクという町に入る。多くの家が砲撃で破壊され、電気もガスも水道も止まったままだ。あるアパートの前に車が着くと、お年寄りたちが集まってきた。その多くは体があまり動かせず、遠くへの避難が難しい人たちだ。 「元気だった?」 「なんとか大丈夫よ」