「名作が古典になっていく、過渡期にある」 あの戦争が遠くなるなかで、『はだしのゲン』を読む #戦争の記憶
広島市立小学校の平和教材から『はだしのゲン』が削除された。1973年に「週刊少年ジャンプ」で連載が始まった同作は、主人公の中岡元が、原爆で家族を失いながら、焼け野原となった広島でたくましく生きていく姿を描く、中沢啓治さんの自伝的な作品だ。子どもたちに原爆の悲惨さを伝える教材として長年読み継がれてきた。俳優・ラジオパーソナリティー、漫画編集者、文芸評論家の3人に全巻読んでもらい、話を聞いた。
太平洋戦争が終わって78年が経つ。戦争体験者が少なくなるなか、これからは漫画や小説、ドキュメンタリー作品などが「戦争の記憶」をつなぐ器の役割を果たしていくだろう。令和に生きる私たちは、『はだしのゲン』というバトンを次の世代に渡せるのか。(取材・文・写真:キンマサタカ/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
戦争について自分の言葉で話すためにも読んだほうがいい 石山蓮華(俳優、ラジオパーソナリティー)
小学6年生の時、広島県に住む友達に会いに行った時、原爆ドームと平和記念資料館が見たいと言って、連れていってもらいました。友達は平和教育を受けているので、熱でぐにゃぐにゃに溶けた生活用品とかが展示されていることを知っているんですよ。「あそこは(雰囲気が)暗いけえね」と言われたりしたのを覚えています。 『はだしのゲン』は、子どもの頃にパラパラッとめくったことはあります。でも、原爆投下直後の絵があまりに恐ろしくて、読まなかったんです。ゲンが「みんなおばけじゃ~」と叫びますが、全身の皮膚が原爆の熱線で溶けて垂れ下がっている人々の姿はやっぱり怖いです。 今回も重い気持ちでページをめくり始めたんですが、ひどい状況にあってもへこたれないゲンの明るさとユーモア、ハチャメチャな暴言と腕っぷしの強さは、救いだと思いました。令和の今読むと、トラブルを暴力で解決するのは容認できないけれど、この物語の中では、極限状態を生き抜くために、主人公がけんかに強いことが大事な条件だった。
祖母の言葉とゲンの喜びがつながった
どんな危機に面しても、絶対に生きていくぞというゲンの強さには勇気をもらえます。人を思いやれる優しさ、自分の意見を曲げない強い意思、何か言われたらきつい言葉でぱっと返せる機転。前向きなキャラクターでなかったら、このような物語は描けなかったと思います。 意外だったのは、ゲンがよく笑うことですね。つらいからこそ笑うようにしていたのかなとも思います。ゲンは常に気丈に振る舞っているけれど、原爆で家族を目の前で失うという凄惨な体験をして、心のどこかが麻痺して壊れているのかもと感じました。 特に印象に残ったのは食事のシーンでした。「夢じゃないかのう こんなめしをくえるなんて」。腹をすかせたゲンが、白いごはんを前にして言うせりふです。 91歳になる私の祖母は、戦争中に栃木へ疎開した経験があり、毎日ひもじくて、芋の根っこも食べたそうです。戦争のことはあまり話そうとしませんが、「食べ物を大事にしなさい」と口酸っぱく言われました。祖母の言葉と、ゲンの「白いごはんだ」という喜びがつながった気がしました。あの時代と今の暮らしは地続きなんです。