ああ、もう軍人にならなくていいんだ--山田洋次91歳、創造の原点と戦争体験 #戦争の記憶
全員が一斉に歌い出した、ソ連軍の兵士たち
敗戦から一週間ほどで、大連にもソ連軍がやってきた。 「ソ連軍の兵士たちは、みんなボロボロの服を着ているの。垢じみてて、布きれで作った地下足袋みたいな靴を履いていた。うわあ、ソ連兵は貧しい格好をしているなと思って。ただ、肩にしている銃が、みんな自動小銃だった。服は貧しいけれど、武器だけは近代的なものを持っている軍隊だなと思ったね」 少年時代から持ち合わせた観察眼。山田の語る言葉が、まるで映画のカメラワークのように感じられる。 「何千人と行進してくるソ連兵、それを僕たち市民が取り囲んで見ている。そこで彼らも一つ、景気づけてやろうと思ったんじゃない? ひとりの将校が、高いテノールで一節、『カチューシャの歌』を歌い出した。それに合わせて、全員が一斉に歌い出したの。しかも途中からハモってくるんだよ。よく見ると、軍人の中には女性もいて、男女混声二部合唱なんだな。素敵だったんだよ、その歌声が」 ドラマティックに登場したソ連兵だが、当時の日本人たちはどのように迎える心構えをしていたのだろうか。 「もちろん恐怖感はあった。日本人同士で集まって、どうやって暴行から身を守るかという相談をしたり。隣家との間の垣根を破って、行き来して逃げられるように考えたりね。実際にソ連兵は何度もやってきて、タンスなんかを開けて持っていった。僕のおふくろもまだ40代だったから、屋根裏に逃げたりして。幸い無事だったけど。僕らはやがて家を追い出されて、狭いところに、一家族一部屋みたいに押し込められた。僕らが暮らしていた広い家は、ソ連の将校の住まいになった。僕はそこへ、ボーイのアルバイトに行っていたよ。掃除したり、ものを運んだりね。一生懸命ロシア語を勉強して、少しずつ喋れるようになると、だんだん彼らの苦労もわかるようになった。母国では学校の先生をしているという将校と仲良くなって、『もうこれで戦争はないんだね』と言ったら、『いや、まだアメリカとしなきゃいけない』って。よく覚えているよ」