ゆとり先生の教育提言(5) 分からないものは「怖い」?
特効薬ができた後も数十年に渡り社会から隔離され、差別の対象となったハンセン病元患者ら。元高校教諭で教育者の野村泰介さん(42)は、高校生と共に病療養所を訪れたとき、 元患者の一人から「私のようなハンセン病患者が亡くなり、差別偏見する人も亡くなれば、差別はなくなります」と聞いたことを鮮明に覚えています。本当にそうなのでしょうか? 全国13か所 の入所者の平均年齢は85歳。一方、新型コロナウイルスの感染者や医療従事者への過剰とも思える嫌がらせ、差別が表出しています。野村さんの考えを書いてもらいました。 ***
偽名で収容所入り
冒頭の発言を野村さんや高校生にしたのは、岡山県瀬戸内市の長島という島にある収容所、邑久光明園(おくこうみょうえん)に入所していた立花誠一郎さん(1921~2017年)です。太平洋戦争中に捕虜になったこと、さらにハンセン病を患ったことを恥じ、家族の住む集落には帰ることができないと判断。自ら希望して縁もゆかりもない邑久光明園に入所した方です(詳細は「ゆとり先生の教育提言(4)被差別者が亡くなれば差別はなくなるのか?」=関連記事)。 「立花誠一郎」という名前は偽名です。本名はごく限られた人しか知りません。復員後、故郷の家族・知人・友人と決別する覚悟をし、「立花誠一郎」になりました。邑久光明園入所後、特効薬「プロミン」の投与でみるみるハンセン病の症状が改善し、その後完治します。しかし病気は治っても、「元ハンセン病患者」としての差別を恐れた立花さんは故郷に戻らず、一生この地で暮らすことを決意します。
記憶の受け継ぎ方
2008年から立花さんが亡くなる2017年まで私は高校生を連れて立花さんのライフヒストリーを聞き取りました。参加する高校生が代替わりしても続いた交流。その時々で関わった生徒たちはそれぞれの想いで立花さんの人生を受け止め、その成果を発信しました。特に注目されたのが2010年にイギリスケンブリッジ大学で行われた学会“Creativity Behind Barbed Wire” (戦争捕虜収容所内における収容者の生活に関する研究学会)でポスター発表“A Double Prisoner ―between Leprosy and War”(邦題「二重のプリズナー 戦争捕虜とハンセン病」)を行ったことです。