『鬼滅の刃』ブームに考える「怨霊」の日本文化
ファンタジーとしての『鬼滅の刃』
近代の小説や、映画、演劇、ドラマの世界では、自然主義あるいはリアリズムが大きな潮流であったが、今ではむしろファンタジー(幻想的な物語)が主流となりつつある。その現代ファンタジー世界の代表者は、ウォルト・ディズニーであろう。アメリカという歴史の浅い、多文化多人種の社会において、動物を主人公として、アニメ、CG、テーマパークなど、厚みのある事業を展開し、きわめて資本主義的な国際企業となっている。 もう一方に、イギリスのJ・R・R・トールキンがいる。『指輪物語』の作者で、現代のファンタジー映画やアニメに多くの原作を供給している。大ヒットした『ハリーポッター』もその流れであろう。アメリカとは異なるヨーロッパ文化の深みを背景に、しかもギリシャ思想やキリスト教という普遍的に発展した知の淵源たる地中海世界からは離れた、イギリスという森の風土と文化の上にある神秘の物語である。「魔法・樹と森・空を飛ぶ」などが特徴だが、その点では、都市文明に対して批判的な、スタジオジブリ(宮崎駿)の作品に似たところもある。 そしてスタジオジブリの作品が国際的な文明批判をバックにしているのに対して、またその流れにある『時をかける少女』『君の名は』といったアニメ作品がSF的なともいうべき異次元性をテーマとしているのに対して、『鬼滅の刃』は日本の伝統文化を背景にしているのだ。グローバル文明による気候変動や新しいウイルスに直面して、現代日本人の観念の中に、かつての王朝時代や武家時代の怨念が甦っているのだろうか。 それにしても『鬼滅の刃』には血生臭い闘いの場面が多く、その点は要注意だ。人と鬼の名前や戦術に古い日本語がおどろおどろしく登場するのは、闘争もののコンピュータゲームに近い感覚であろう。コミカルなところもあるがエグいところもある。作者は男性名だが女性だという。これも時代を表しているというべきか。 人間の心から、嫉妬、憎悪、怨念といったものを取り除くのは難しい。飼い慣らすことだ。慣らせば逆に強い味方になってくれるかもしれない。来年こそは良い年となるよう、神となった怨霊たちに祈りたい。