新型コロナで露呈した各国の「権力」と「民力」、そして「質の国力」
「Go To トラベル」の全国一斉停止を発表した直後に、菅義偉首相が自民党の二階俊博幹事長やプロ野球ソフトバンク会長の王貞治氏ら高齢者ばかり計8人で東京・銀座のステーキ店で会食していたことが明らかになり、批判を浴びています。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は「このウイルスに対する各国の対応とその成否から、国家の『権力』と『民力』の実態が見えてくるような気がする」と言います。「権力」と「民力」とはどういうものなのでしょうか。若山氏が独自の「文化力学」的な視点からアフターコロナの時代を論じます。
危機に臨んで国家国民の「権力」と「民力」が現れる
総理のステーキ会食でガックリ、メンバーを知って2度ガックリ。この非常時に必要な人たちとは思えない。王さんは野球人として尊敬しているがそれは別問題だ。 新型コロナウイルス感染拡大の第1波の初期において、日本人は政府の無力さを痛感した。対策が後手にまわり、しかも不徹底。すべてが強制力のないお願いベースだった。そしてその感染が収まりかけたとき麻生副総理は、欧米と比較して日本は「民度のレベルが違う」と胸を張った。日本の「権力」は弱く「民力」は強い、国の内外で多くの人々がそう感じた。しかしその後はどうだろうか。 ここで「権力」を「政府の政策力と統制力」、「民力」を民度とほぼ同じ「国民の判断力と行動力」と定義しよう。権力と民力は独立した変数で、どちらかが大きい(強い)場合は他方が小さい(弱い)というものではない。また今の日本では国家権力が強いことは悪いことというイメージもあるがここでは必ずしもそうではない。民力は、国民の経済力や能力でもあるがここでは総合的な人間力として考えたい。「権」とはもともと、ものの量を決める「基準」すなわち度量衡の意味であり、これがしっかりしていなければ経済も技術もしっかりしないのだ。 今回のウイルスに対する各国の対応とその成否から、国家の「権力」と「民力」の実態が見えてくるような気がする。中国は発生源にもかかわらず強引に抑え込んだようだ。台湾とニュージーランドはほとんど根絶というほどに成功した。欧米はおおむね失敗した。特にアメリカ合衆国は大失敗だろう。そして日本と韓国はどう評価すべきか。