『鬼滅の刃』ブームに考える「怨霊」の日本文化
物語(ファンタジー)化する怨念
武家社会になると、世の中が実力によって支配されるすなわちリアリズムの社会となって、怨念と怨霊の文化は、物語(ファンタジー)化し、演劇化していく。そして庶民階級に染み入って現実的な力をつけた鎌倉新仏教における「無常」の観念によって慰撫されるものとなる。 能の物語には、もの寂しい風景の中に突如、平安王朝や源平の合戦で恨みを抱いて死んだ者の怨霊が現れて語り狂い踊り狂うのを、諸国一見の僧(日本各地を旅する僧侶)が鎮魂するという型が多い。能を受け継いだ歌舞伎の物語でも、世俗の権力に対する怨念が演じられる。その演じること自体が、ひとつの鎮魂となるのだ。平家追討に大戦果を挙げた源義経が兄頼朝の命によって放浪する物語、主君が起こした事件の沙汰が一方的であったことから仇討ちに及ぶ赤穂浪士(大石良雄)の物語などはその典型である。武家の時代、一種の法治主義に対する「武力の怨念」が一般的であった。 近代社会への転換期、戊辰戦争における官軍の事実上の頭であった西郷隆盛が西南戦争で賊軍の頭として討たれる物語は、新しい怨霊を生んだと思われる。司馬遼太郎は「日本には西郷教というものがある」とした。武士階級が消滅するに当たっての「武力の怨念」であるが、西郷が残した文書には、「敬天愛人」すなわち東洋的道徳をたっとび、他国を蹂躙して繁栄する西洋は「文明でなく野蛮である」とする憤激が滲み出ている。この東洋的怨念ともいうべき西洋批判は、玄洋社を組織した頭山満以後の右翼思想に脈々と受け継がれ、太平洋戦争にもつながるのだ。そういった思想に影響されて、2・26事件で決起した東北寒村出身の兵たちには、古代社会以来の「東国の怨念」も感じられる。 平安時代の3大怨霊に、義経、大石、西郷を加えて「日本6大怨霊」としてもいいのではないか。文化的に見れば、日本史は怨霊が動かしてきたともいえるのだ。 非業の死を遂げた人物が怨霊となり、現実世界に災厄をもたらす。すなわち祟るのであり、多くの神社はその鎮魂を目的として建てられる。そして日本人はことあるごとに参拝する。僕は天神とか天満宮に詣でると、不思議にいいことがあるので、学問の神となった道真公の怨霊を守護神のように考えている。つまり鬼とか、怨念とか、怨霊とかいうものは、単なる悪魔ではなく、逆に国を護り、人を導くものでもあるのだ。その転換に日本文化の妙味がある。 日本文化は、嫉妬、怨念、怨霊の風土にある。大陸に広がる「一神教の世界」あるいは「哲学・思想の世界」とは隔絶された列島に特有の文化だろう。日本人は「世界」にではなく「世間」に生きている。いじめ、引きこもり、過労死といったものも、そこにつながっている。