住民が地域の主役の座に座り直す―。奥能登の自由な交流拠点「本町ステーション」が示す復興の形 #知り続ける能登 #災害に備える
本町ステーションの建物は、もとはプロパンガスを販売する燃料店だ。家主の越後英明さん(63)は、地震後、避難所で松田さんに再会した。「松田さんから声をかけられなかったら、倉庫にしようかと思っていたんです。町内の30世帯の人の大切なものとかを入れる」。区長を務めて3期目。 「しんどいなと思うこともあるけど、こうやって来てくれるとうれしいし、協力できることは協力して、快適に使えるようにしてあげたいなって」 高齢の父親を金沢市へ避難させ、自分は珠洲市に残って働く。自宅は全壊し、事務所の2階を住めるように改装した。ずっと知人の家にお風呂をもらいに行っていたが、12月にやっと最新式の設備が取りつけられて、自分ちのお風呂に浸かるのが一番の楽しみだ。しかも、フロアを4つぐらいのスペースに区切っていて、独立している子どもたちだけでなく、同級生など、いろんな用事で宝立町に里帰りしたいけど実家がなくなって泊まるところがない人に泊まってもらおうと考えている。「(地域のためにそこまでする理由は)みんながいるから。みんなが来てくれるからよ」
はす向かいで理容室を営む鹿野信子さん(84)は、写真の仕事と本町ステーションの切り盛りで忙しそうな松田さんを気にかけつつ見守る。立ち上げ当初からの常連さんで、入りづらそうにしている人を見ると「一緒に行ってあげる」と声をかけて背中を押す。 「はじめは(松田さんが)写真家やって知らんさかい、みんな無料やいうて、こんなんであんた、採算取れるが?ってはっきり言うたんよ。そしたら取れんけどいいって言うから、それ以上追及できんがいね(笑)」 鹿野さんの理容室は倒壊をまぬかれ、お客さんの求めに応じて少しずつ営業を再開した。水道が復旧するまでは、400メートル先の宝立小中学校で水をくんできて、沸かしたお湯をペットボトルに移し替えて洗髪した。「あれー、(倒壊せずに)立っとったがと言って入ってきた人もおったよ。鵜飼は全滅ってみんな言うたさかいね」