住民が地域の主役の座に座り直す―。奥能登の自由な交流拠点「本町ステーション」が示す復興の形 #知り続ける能登 #災害に備える
家屋のほとんどが倒壊した集落にポツンと残った建物で、なぜこんなにも頻繁にイベントが開かれているのか。松田さんに尋ねると、「連絡が来て、いいなと思えば、どうぞと言って、日程が合えば自由にやってもらうだけ」というシンプルな答え。唯一の条件は、地域の人たちが安心して過ごせることだ。 イベントのない時も、基本的に、週1日の定休日以外は、10時から17時まで開けている。お金はとらない。お茶やお菓子は寄付で賄えている。無料だとかえって気兼ねするというなら、お気持ち箱にチャリンと入れてくれればいい。 住民の、住民による、住民のための寄り合い所。本町ステーションのあり方から見えてくる自治の力と、「奥能登らしい復興」とは。
「やっと手芸ができる」喜び たくさんの布や毛糸に会話の花咲く
11月下旬のある日、本町ステーションで「本町手芸部」が開かれた。主宰するのは三重県在住のアーティスト、宮田明日鹿さん(39)。宮田さんは、布や毛糸、かぎ針に棒針、パッチワーク用のはぎれ、ミシン、毛糸玉をつくる玉巻き器など、素材や道具をどっさり持ちこんで、参加者が来るのを待っていた。 本町手芸部はこの日が第2回。参加者は思い思いに素材を選び、好きなものをつくる。ほとんどが町の住民で、顔見知りも多いので、おしゃべりにも花が咲く。編み物や手芸の心得がある人が多く、ブランクのせいで戸惑っても簡単に説明されればすぐに勘を取り戻す。
宮田さんが「この糸、どうしたらいいと思う?」と投げかけると、「かぎ針より棒針のほうがいい」「1本で編むよりも、違う糸と合わせたほうがいいんじゃないか」「この色はどう?」「いいね、かわいい」という具合に、どんどんアイデアが出る。 宮田さんはこれまでにいくつかの「手芸部」を立ち上げてきた。最初は名古屋市港区の「港まち手芸部」で、もう8年も続いている。手芸部とは言うなれば、手芸によるコミュニティーづくりだ。 家庭用編み機を使った作品づくりをする宮田さんは、商店街の空き店舗をアトリエとして借りたことをきっかけに、91歳の手芸の達人と知り合った。達人から宮田さんが手編みの技を教わるかたちでスタートした港まち手芸部は、世代や性別を超え、宮田さんにとっても大切な居場所となっている。 宮田さんは以前に珠洲市を訪れたことがあり、地震発生直後から何かできることはないだろうかと思いながら日々を過ごした。知人を介して松田さんとつながり、本町ステーションで手芸部を開くことになった。