「お嬢さんが北朝鮮で生きている」横田めぐみさん宅にかかってきた“拉致問題”を動かす政治家秘書からの“一本の電話”
中学1年生で行方不明となり、後に北朝鮮に拉致されたことがわかった横田めぐみさんは、今年10月に60歳の誕生日を迎えた。 【動画】2002年10月15日を覚えていますか? 北朝鮮が日本人の拉致を認め謝罪してから、すでに22年が経過。政府はすべての拉致被害者について〈必ず取り戻す〉としているが、めぐみさんをはじめとする被害者12名(※)は、いまだ帰国を果たせていない。 本連載では、毎年12月10日から行われている「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」を機に、拉致被害者の家族の思いに触れ、拉致問題の現状を改めて考える。今回は、めぐみさんの父・滋さんのもとにかかってきた一本の電話から、めぐみさん失踪に北朝鮮が関与していた可能性が徐々に明らかになっていく様子を回想する。(第5回/全6回) ※ 日本政府が北朝鮮による拉致を認定した人のうち安否がわからない人数。拉致された可能性を排除できない行方不明者は12名以外にも存在している。 ※ この記事は横田めぐみさんの母・早紀江さんが綴った『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』(草思社文庫、2011年)より一部抜粋・構成。
「お嬢さんは北朝鮮で生きています」
平成9(1997)年1月21日のことでした。祈りの会に出かけ、夕方6時頃に帰宅した私の顔を見ると、主人が怪訝そうな面持ちで「今日、変なことがあったんだよ」と言いました。定年退職後のことで、主人はその日、家にいました。 主人は、ちょっと口ごもる感じで、私が「何があったの」と聞いても、はっきり答えてくれません。 「何か、おかしな話なんだよ」 「何、何、早く言ってよ」 「うーん……それがね……」 主人のふだんとは違う態度に、私は「あっ」と思い当たって聞きました。 「ひょっとして、めぐみちゃんのこと?」 主人は「そうなんだよ」と言い、奇妙な、そして驚くような話をしてくれました。その日、まもなくお昼というときに、日本銀行のOB会である「旧友会」から電話があって、参議院議員の橋本敦さん(共産党)の秘書をしている兵本達吉さんに電話を入れてほしいと連絡があったそうです。 「旧友会」でも詳しいことは分からず、主人はわけの分からぬまま、すぐに兵本さんに電話をかけました。電話に出た兵本さんは、「お宅のお嬢さんが北朝鮮で生きているという情報が入りました」とおっしゃったので、主人は本当にびっくりしたそうです。 「私はずっと北朝鮮による拉致事件について調べています。お宅のお嬢さんのことは初めて知ったので、いなくなったときの状況などを教えてください」 電話では詳しい話ができないので、議員会館に来ていただけませんか、という兵本さんの言葉に、主人は「すぐに伺います」と言って、議員会館に急ぎました。議員会館に向かう電車の中で主人は、初めて出てきた情報らしい情報だけれども、めぐみが北朝鮮にいるというのは本当なのか、本当だとしたら、どうやって連れて帰るのか、この二つのことに思いを巡らせて、気持ちが落ち着かなかったと言いました。