バスケ×サッカー“93年組”女子代表2人が明かす五輪の舞台裏。「気持ち悪くなるほどのプレッシャーがあった」
バスケットボール日本女子代表の町田瑠唯と、元サッカー日本女子代表の岩渕真奈。東京五輪開催時に「そっくり!」とSNSで話題になった2人が、パリ五輪を前に初対面を果たした。アシストを真骨頂とする町田は「バスケット選手じゃなかったらサッカー選手になっていた」と明かし、ストライカーだった岩渕はバスケ経験があると明かすなど、シンクロする部分も多い2人。東京五輪とロンドン五輪でそれぞれ銀メダルを獲得し、オリンピック2大会を経験した2人に、同大会への思いや代表での立場の変化、キャリアにおいてどんな逆境を乗り越えてきたのか、対談形式で語ってもらった。 (インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、撮影=大木雄介)
東京五輪は銀メダル獲得も、悔しさが残る大会に
――オリンピックについてお聞きします。岩渕さんはロンドン五輪(準優勝)と東京五輪(ベスト8)を経験していますが、オリンピックにはどのような印象や思い出がありますか? 岩渕:サッカーって、その国のいろいろな地域で試合をするし、最初のほうは地方が会場になることも多くて、しかもスケジュールが他の競技よりも早いので、あまり盛り上がっているイメージがないんです。東京五輪は無観客で、結果も出せなかったし……。日程が進んで選手村に入れることになってから、やっとオリンピックを実感できるぐらいの感じで。ロンドン五輪で銀メダルを取ったことはすごく良かったのですが、オリンピックという大会を楽しんだかと言われたら、当時は若すぎて楽しむ余裕がなかったですね。 ――町田選手はリオデジャネイロ五輪(ベスト8)、東京五輪(準優勝)を経験されています。思い出深いエピソードや、ご自身にとってのオリンピックについて教えてください。 町田:オリンピックに出るのが夢だったので、最初のリオの時は、すごくワクワクした気持ちで臨んでいました。他の大会と雰囲気が全然違うと感じましたし、大会中にチームが一つになった感じもあったので、「オリンピックってすごい舞台だな」っていうのもその時に感じました。当時は年齢が下のほうだったのでついていくという感じだったんですけど、東京五輪の時は28歳で、上から2番目ぐらいの年で。リオの時とは立場が全然違ったので、責任はすごく感じながらプレーしていました。 ――特に印象に残っている試合や瞬間をそれぞれ一つ挙げるとすれば、いかがですか? 町田:初めてベスト4に進んだ(東京五輪の)準々決勝のベルギー戦は印象深いですね。終了間際に林咲希選手の3ポイントシュートで(86-85で)逆転した最後の場面は忘れられないです。銀メダルは初めてのメダルだったので嬉しかったですけど、やっぱり目標は金メダルだったので、そこに届かなかった悔しさだったり、決勝でうまく戦えなかった悔しさっていうのはずっと残っています。個人的にも、「足りないところが多すぎる」と感じた大会でもありました。 岩渕:なでしこジャパンはロンドン五輪の決勝でアメリカと対戦したんですが、1-2で負けていて、最後の場面でGKと1対1になったシーンでシュートを決められなかったことが、個人的には銀メダルを取ったことよりも印象に残っています。その最後のシュートを決めていたら金メダルを取れた可能性もあったので。だから、ベスト8で終わった東京五輪も含めて、オリンピックは「悔しい大会」というイメージのほうが強いです。