バスケ×サッカー“93年組”女子代表2人が明かす五輪の舞台裏。「気持ち悪くなるほどのプレッシャーがあった」
キャリアで一番の逆境は?
――キャリアの中でいい時もあれば大変な時期もあったと思いますが、一番の「逆境」を挙げるとすれば、どんな局面でしたか? 町田:あまり「つらい」と思うことがないんです。昨シーズンは骨折と捻挫が連続してしまった時期があったのですが、その時も割と前向きに「これまでずっと休みなくバスケットをやり続けていたから1回休めってことかな」という感じで受け入れられましたし、復帰した時には、ケガをする前よりもレベルアップできるように頑張ろう、という感じでリハビリしていたので。そう考えると、そこまでつらかった経験はないかもしれないですね。 岩渕:ケガは多すぎたので、何が一番とは言えないのですが……。今までで一番プレッシャーを感じたのは、東京五輪のグループステージ第3戦のチリ戦でした。初戦と2戦目の結果から、3戦目は引き分けでも敗退の可能性があって、勝たなければいけないという状況だったのですが、チリは世の中的には格下と見られていて。しかも、その試合は唯一の有観客試合になったんです。オリンピックはいろいろな競技がある中で埋もれてしまわないためにも結果が必要だと思っていましたし、2016年のリオ五輪の予選を逃していて、女子サッカーの未来のためにも「結果が絶対に必要」だと感じていたので。その時のプレッシャーは、本当に気持ち悪くなるぐらいでした。 ――岩渕さんはワールドカップやオリンピックの決勝も戦っていますが、その時よりも強いプレッシャーだったんですか? 岩渕:そうですね。攻めているのに全然点が入らなくて、「負けたらどうしよう」ってだんだん追い詰められる感じで……。だからこそ、勝った後はワールドカップ優勝の時よりも「ほっとした」という気持ちが強すぎて、すごくイメージに残っています。 ――自国開催のそういうプレッシャーは、町田選手も感じましたか? 町田:ありましたね。それまで代表ではメインガードじゃなくて、ずっと2番手、3番手で、途中で流れを変える選手という感じで出ていたんですけど、東京五輪の時はスターターで出る感じになったので、その責任感やプレッシャーが、それまでよりも大きかったです。 ――大きな大会で主力に定着して、活躍してヒロインになるのはすごいですよね。 岩渕:きっと、“持ってる”んだと思います。例えばサッカーなら、澤穂希さんが2011年のワールドカップで得点王になりました。継続してやってきたことが一番輝いたのがあの大会だったと思います。町田選手も“持ってる”選手なんじゃないですか? 町田:いやいや、自分ではあまり思わないんですけどね(笑)。 岩渕:継続してやってきたことの努力の過程はもちろんですけど、それもすごく大事な要素だと思うんです。絶対に“持ってる”選手だと思うので、パリではそこも注目して見てみたいです! ※次回、連載後編は7月5日(金)に公開予定 <了>