「さすが怪物ですね」テレビ解説も驚愕…無名の新興校“100年に1人の逸材”が見せた伝説の区間新…26年前、全国高校駅伝“奇跡の初出場4位”ウラ話
今年も全国高校駅伝の季節がやってきた。今季の優勝候補筆頭が5000m13分台のランナーを5人揃え、同校初の連覇を狙う長野・佐久長聖高校だ。今年で27年連続の全国出場、24度の入賞という驚異的な安定感を誇る同校だが、いまから四半世紀前――初めて京都の舞台を踏んだチームは、まさに「寄せ集め」集団だった。それでも初出場で“全国4位”に食い込んだ名門の黎明期を振り返る。《NumberWebノンフィクション全3回の3回目/最初から読む》 【貴重写真】「こ、これが100年に1人の逸材の走り…」黎明期の佐久長聖に現れた“伝説のランナー”佐藤清治184cmの超ダイナミックフォーム…26年前、初代・佐久長聖チームの都大路での激走も見る 「おい、あれ西脇工業じゃん! 大牟田もおる!」 1998年の全国高校駅伝。12月下旬の大会前日に行われた開会式で、初出場だった長野県代表の佐久長聖高校のメンバーたちは、それまではテレビでしか目にしたことのない強豪校の姿にはしゃいでいた。 当時のキャプテンだった松崎雄介が振り返る。 「もう憧れの高校がたくさん会場にいて。みんなで感動していましたよね。『うわっ、見たことあるユニフォームのチームがいる! 』って」 高校側が校名変更を契機に両角速監督を招聘し、「5年で都大路」を目標に強化をはじめて4年目。ようやく初の全国の舞台にたどりついたオレンジ色のユニフォームの面々は、もはや半分……どころか9割方、目標を達成してしまっていた。 「とにかく全国高校駅伝に“出る”ことを目標に、長距離経験者が半分もいないような寄せ集めのメンバーで3年間やってきましたから。前の年に出ていた長野代表の高校が10番台で、地元紙ですごく大きく特集されていたんです。だから、『俺たちも10番台だったら快挙だよな! 』とか話していたと思います」
全国大会への意気込みは…「正直、全然なかったです(笑)」
全国の強豪を相手取っての上位進出など、夢のまた夢。30番台、40番台も当然のようにあると思っていたという。 「そこで戦おうなんて気持ち、正直、全然なかったですよ(笑)。それでも初出場だし許してもらえるだろうとか、そんなことを考えていましたね」 実は客観的に見れば、当時の佐久長聖の走力は全国でも上位のレベルに達していた。 登録メンバーは全員5000mで14分台の記録を持ち、翌年の世界陸上に高校生ながら出場することになる佐藤清治という全国トップ級の“飛び道具”まで擁していた。 にもかかわらず、チーム全体で「上を目指そう」という感覚は希薄だった。監督を務めた両角にしても、地元紙などの取材には「入賞を目指したい」と言っていたものの、その実、松崎たちからすれば「目標を達成してひと段落している感じはあった」という。 他の強豪チームにしても、持ちタイムこそ良いとはいえ、初出場の新興チームを脅威に感じているそぶりは一切なかった。 みんな自分たちなんか気にしてもいない。目標は達成したんだから、あとは思い切って、好きなように走ればいいだろう――。この後、27年連続で全国大会に出場し、24度の入賞と3度の全国制覇を誇ることになる「超名門」初の都大路は、ただただ無欲のままに幕を開けた。
【関連記事】
- 【貴重写真】「こ、これが100年に1人の逸材の走り…」黎明期の佐久長聖に現れた“伝説のランナー”佐藤清治184cmの超ダイナミックフォーム…26年前、初代・佐久長聖チームの都大路での激走も見る
- 【最初/#1を読む】「そんなの無理でしょ」全国高校駅伝26年前の奇跡…部員は「卓球部やスキー部の素人ばかり」なぜ無名校の“寄せ集め集団”が「全国4位」になれた?
- 【前回/#2を読む】「なぜ“100年に1人の天才”がわざわざ無名校に?」全国高校駅伝26年前の奇跡…「1日60km走ったことも」駅伝弱小県の新興校が“超名門”になるまで
- 【あわせて読む】テレビ解説も思わず「ちょっと脆いですね」…全国高校駅伝20年前の《大波乱の内幕》初出場から“6年連続入賞”駅伝「超名門」佐久長聖高“失敗の本質”
- 【こちらも読む】「高校時代のことはもう捨てています」5000m“異次元の高校記録”保持者の苦悩…伊勢路には姿ナシ「元スーパー高校生」順大・吉岡大翔(20歳)の現在地