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杉谷善住坊だけではなかった!戦国武将を狙撃したスナイパー3人

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
(提供:イメージマート)

 今も要人の暗殺は行われているが、それは戦国時代も同じだった。杉谷善住坊は、織田信長を狙撃したことで有名である。実は、ほかにもスナイパーがいたので、うち3人を取り上げることにしよう。

◎井伊直政を狙撃した柏木源藤

 柏木源藤は、島津氏配下の川上忠兄に仕えていた。慶長5年(1600)の関ヶ原合戦では、忠兄に従って出陣した。しかし、島津勢の軍勢は乏しく、ついに戦うことなく、本国の薩摩に帰還することにした。その際、徳川家康の陣を中央突破したのである(島津退き口)。

 島津軍を追撃したのが井伊直政の率いる軍勢だった。そこで、源藤は藪の中に潜み、馬上の直政を狙撃すると、弾が見事に命中したのである。撃たれた直政は何とか一命をとりとめたが、2年後、この鉄砲傷が原因で亡くなったのである。

◎武田信玄を狙撃した鳥居三左衛門

 鳥居三左衛門は、徳川方の菅沼定盈に仕えていた。元亀4年(1573)、武田信玄は菅沼定盈が守る野田城を攻撃した。武田勢は約25,000の軍勢だったが、野田城の兵は約400と伝わる。あまりに圧倒的な兵力差があった。

 籠城戦の最中、笛の名手といわれる村松芳休が美しい笛の音色を奏でた。その音色に聞き惚れ、野田城に近づいたのが信玄だった。三左衛門はこの機会を逃さず、信玄を狙撃した。弾は信玄に命中し、のちに信玄が亡くなったのは、このときの傷が原因といわれているが疑わしい。

◎三村家親を狙撃した遠藤兄弟

 遠藤兄弟は、宇喜多直家に仕えていた。当時、直家は三村家親と戦っていた。永禄9年(1566)、戦局を打開するため、直家は遠藤兄弟に家親を狙撃するように命じた。遠藤兄弟は、失敗したときは生きて帰れないと思い、残された家族の世話を直家に託したという。

 遠藤兄弟は、家親が軍議を開いていた興善寺に向かった。そして、家親を狙って狙撃し、弾は見事に命中した。しかし、三村氏の陣中に騒がしい様子はなかったという。その理由は、重臣の三村親成が動揺を鎮めたためだったが、その後になって家親の死は確認されたのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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