中学生の恋と性を描く浅野いにおの傑作が映画化。主演の石川瑠華が伝えた「無垢ゆえの残酷な痛み」
思春期の繊細で残酷な恋と性を描く、浅野いにおの傑作『うみべの女の子』が映画化された。主人公の女子中学生を演じたのは石川瑠華。すがるような性衝動とすれ違う恋心に翻弄される役に、本人は20歳過ぎながら、劇中でのたたずまいはまさに中学生。14歳ならではの生々しい痛みを醸し出している。6月に公開された主演作『猿楽町に会いましょう』に続き、他の誰も演じられないような人物像を作り上げた。
自分勝手な役を理解したい気持ちがありました
『ソラニン』から11年ぶりの浅野いにお作品の映画化となる『うみべの女の子』。田舎町に暮らす中学2年生の佐藤小梅(石川)は先輩にフラれてヤケになり、自分に告白したことのある同級生の磯辺恵介(青木柚)を誘って初体験を済ませる。その後も2人は体の関係を繰り返し、小梅は自分がフッたはずの磯辺に執着していく。
――『うみべの女の子』の原作は知っていたんですか?
石川 私はあまり漫画を読んでなくて、知りませんでした。オーディションの話をいただいて読んだら、2巻にギュッと凝縮された物語で、1ページも無駄がない感じがしました。
――惹かれるものがあったと?
石川 この作品を言葉で表すと軽くなってしまう気がしてイヤなんですけど、中学生の繊細で無垢なゆえに残酷な恋愛はあまり見たことなくて、すごいなと思いました。
――小梅の役をやりたい度合いも強かったわけですか?
石川 漫画を読んでいて、小梅にすごく惹かれました。自己チューで自分勝手で、そんな行動が自分に返ってくるのは当たり前みたいな見方もできる。でも、彼女のことをちゃんと理解したい気持ちもあって、自分がこの役をやりたいと強く思いました。
――かつ、「自分にしかできない」くらいの気持ちも?
石川 でも、14歳という設定だけど、(性描写があって)18歳以上でないとできない状況の中で、当時22歳だった私がやっていいのかな……というのがあって。中学生に見えないと成り立たないから、オーディションを受けるかどうかで、まず悩みました。それと、原作ものに携わるのが初めてだったんです。
――そうでしたね。
石川 傑作とされる原作を映像化することに、私自身、あまりプラスの意見を持ってなくて。原作のファンは喜ぶのかな。むしろ、悲しむ人がいるんじゃないか。そう考えたら、この作品はすごくリスクもある。だけど、いい映画になる可能性もあると思って、やりたいほうに傾きました。
ひと言で片付けられる女の子にはしたくなくて
――オーディションには学生時代の制服で行ったそうですね。
石川 高校のときの制服で、漫画の小梅のような赤いマフラーもしていきました。そうすると、自分がいちばん小梅でいられそうだったので。私は制服を着て大丈夫だと思いましたけど、中学生に見えないなら、ナシのほうがいいなと。
――実際に映画にあったシーンをやったんですか?
石川 冒頭の海辺のシーンをやりました。磯辺が肉まんを買ってきて、2人で石の上に座って話すところですね。手応えとか何もかもわからなかったんですけど、結果が出るまで2日くらい待っていて。その間、ずっと『うみべの女の子』のことしか頭になくて、落ち着きませんでした。
――それくらい、やりたい役だったんですね。小梅は中学生という部分を抜きにできないにせよ、キャラクター的には表現できる自信はあったのでは?
石川 小梅はずっとかわいらしくしているわけでないし、人を傷つけるし、ちょっと嫌われそうなキャラクターなんですね。でも、自分がやるなら、ひと言で片付けられてしまうような女の子にしたくない想いはありました。だからこそ、誰かがやるなら私がやりたいと思っていたかもしれません。
――自分が中学生の頃に、覚えのある気持ちもあったんですか? 恋愛絡みでなくても、満たされないものを埋めようと、何かにすがろうとするとか……。
石川 そういうのは確かに、自分の中にあったりはしました。小梅が一生懸命なのを私はすごく肯定できるし、ちゃんと演じられると思いました。ただ、私が中学生の頃は、ほぼ部活のテニスと勉強のことしか頭になくて。カッコイイ人にちょっとした憧れは抱いても、小梅みたいに急接近はしなかったし、ああいう田舎でもなかったので、そこまで人とギュッと関わりもしてなかったんです。だから、自分の中学時代の経験は全然アテにならなくて(笑)。その分、漫画を何度も読みました。
感情を隠すことを知らないんですよね
――「中学生に見えるか」というお話が出ましたが、石川さんが小柄なこともあってか、普通に立っているだけでも中学生に見えました。
石川 体を小さくしようとしました。身長120cm用の服を買って、普段から着ていたんです。最初はすごいピチピチだったのが、フィットするようになったから、小さくなったのかな。服が伸びたのかもしれませんけど(笑)。
――磯辺に拒絶されたときの泣き顔とかも、リアルに中学生っぽかったです。
石川 感情を隠すことを知らないし、隠そうとしても出てしまうんですよね。
――そうした表情は演技の中で自然に出たものですか?
石川 見え見えの演技でなくて、自分が意識してないところで小梅として画面に映っていたらいいなと思っていました。“中学生ってこうだろうな”というイメージはありましたけど、それだけでやってしまうと、たぶん違う。浅野いにおさんの漫画の絵が強すぎて、どうしても頭をよぎってしまうから、形で動いてしまうことを恐れていました。絵だけに合わせるなら、アニメでやればいいので。漫画からは気持ちだけを読み取って、いったん忘れるようにしていました。
――磯辺のパソコンのデスクトップの“うみべの女の子”の写真を見てムクれるところも、まさに中学生の顔でした。
石川 あそこは写真の高崎かなみさんが本当にかわいらしくて。自分の顔も鏡で見て「勝てないな……」と思ったのがいちばん強かったです。でも、写真だけの存在だから消してしまおうという、小梅の考えもすごくわかりました。
――だからといって、磯辺のパソコンから勝手に削除するとは(笑)。
石川 安直ですけど、私は自然なこととしてやっていました。実際の自分と小梅は8歳も違っていたから、共感というより理解はできて。応援したい気持ちになりました。
思い通りにならなくてイラつくのが中学生だなと
――その辺も含めて、小梅と磯辺は体の関係は持ちつつ、やってることはお互い中学生っぽいというか、子どもじみているように思いました。
石川 確かに、やってることや言ってることはそうですね。相手に自分の感情をそのままぶつけちゃうとか、思い通りにならなくてイラつくのは、本当に中学生だなと思います。
――石川さんの中学時代は、たぶん精神的にもっと大人だったのでは?
石川 周りは見えてなかったと思います。学校にいじめとかはあったので、どう逃れて生きるか。いいグループに入りたいとか考えていたのは、子どもっぽかったですね。友だちが他の人と仲良くしていると、めちゃくちゃ嫉妬もしました。すごく昔のように感じますけど。
――劇中で、小梅が手紙を書くシーンがありました。あの筆跡は、普段の石川さんのまま?
石川 違います。漫画で丸めの字だったので、練習しました。漫画を読んでいる人が観て、同じ字だったらうれしいじゃないですか。私はすごくカクカクした字を書くんですけど、小梅の字がカクカクしていたらイヤだなと思って(笑)。
――そこは原作に寄せたんですね。
石川 はい。小梅のしゃべり方も、ある程度原作から想像して、ブリッコではないですけど、ちょっと幼い感じにしました。
相手に何かしてあげられたのか不安になって
――小梅の話し方や態度は、磯辺といるときと友だちとかといるときで違いますよね。
石川 それは意識しました。
――取り繕わない顔を見せられる磯辺のような存在が、小梅には必要だったんでしょうか?
石川 必要だったと思います。でも、撮影が続くにつれて、私としてなのか小梅としてなのか、自分からは磯辺に何もしてあげられてないのではと、すごく不安になりました。磯辺は何かあっても小梅に頼ってこないし、小梅が寄っていくから一緒にいるけど、必要とされているのかわからなくて。そんなとき、2人で寝てるシーンがあったんです。そこで磯辺の顔を見たら、小梅に預けてくれているような気がして、すごく安心しました。
――石川さんは、『猿楽町で会いましょう』でもありましたけど、ヌードや濡れ場には抵抗ないですか?
石川 私はいい作品のためなら、何でもいいです。でも、観た人が脱いでいたことしか頭に残らなかったら、絶対イヤだなと思います。『猿楽町』でも『うみべの女の子』でも、性を超えたものを描いているので、私自身は脱いでも脱がなくても、どっちでもいい感じでした。
――『うみべの女の子』での性描写は、扇情的な意味でなく重要に見えました。
石川 必要だったのはわかります。ただエロくなっても違うし、何かが見えないといけないと思っていました。性行為をして変わったものがあったり、それでも満たされないものを感じたり。
台本になかった台詞も入れてもらいました
――撮影中に演技で悩んだことはありました?
石川 やっぱり原作を抱えているプレッシャーは、ずっとありました。それはウエダ(アツシ)監督にもあったみたいで、話し合いを続けて、探り探りでやっていた気がします。監督とは小梅の捉え方が違っていたので、長い時間をかけて話し合いました。
――捉え方がどう違っていたんですか?
石川 監督は女性に対して寛大な考えを持ってらっしゃって、私がセンシティブになっているところを指摘してもらったりしました。逆に、私から小梅のために必要だなと思ったことは意見して、台本と台詞が変わったところもあります。
――石川さんの提案で変わった台詞というと?
石川 「磯辺が悩んでいるなら全部聞いてあげるし、寂しいならずっと一緒にいてあげる」という台詞は、漫画にはあったんですけど、台本には最初なくて。私が「入れてほしいです」と言って、付け加えてもらった気がします。
――台風の中で磯辺を探すシーンは、体的に大変でした?
石川 めっちゃ寒かったです。でも、撮ったあとに熱い温泉を用意していただいていたので頑張って、差し引きプラスでした(笑)。強い風で傘が折れるほどのシーンも撮ったことがなくて、意外と楽しかったです。
やさしくなりたいのになれない辛さを知りました
――小梅を演じて、原作のより深い理解が得られたりもしました?
石川 佐藤小梅の深いところは見えたかもしれません。あまりどういう子とか位置づけたくもないですけど、自分で悪いと思っていても、どうにもならない中で生きていて。やさしくなりたいのになれない未熟さみたいなのは、本当に辛いんだなと思いました。
――それは14歳に特有なものでしょうか? 大人でもあると思いますか?
石川 大人になると「中学生に戻りたい」と言うじゃないですか。でも、この世界では中学生はこんなに苦しくて、大人になってから、その苦しさが戻ってくることはあると思います。だから、この映画はぜひ大人の方に観てもらいたいです。甘酸っぱい思い出も、今でも共感できるものも詰まっているので。私も試写を観て、こんなにパワーのある映画は久々な感じがしました。
――そのパワーの大きな要因に、石川さんの演技がありました。
石川 いや、全部原作とキャラクターとウエダ監督の力だと思います。ただ、この映画の試写では、良いことなのか悪いことなのか、自分の粗探しはしませんでした。最初の10分くらいは肩に力が入ってましたけど、どんどん引き込まれていって、のめり込んで、最後は何とも言えない感情になりました。
――自分のイメージした通りの小梅にもなっていて?
石川 私は漫画のキラキラした終わり方が印象的で、そこを映画できれいごとでなく表現するには、痛みもちゃんと伝えないといけなくて。そのうえで、ラストは本当に大切にしました。浅野いにお先生の他の作品も読んでみて、まったく違うお話ですけど、映画も素敵だった『ソラニン』の芽衣子が最後に希望を届けたように、小梅として少しでも光輝くものを届けたいと思っていて。積み重ねてきたものが、最後の言葉に出ました。
面倒くさい子の役を受け止めて成長できたら
――石川さんは14歳の頃と今と、何が変わったと思いますか?
石川 より頭で考えるようになったし、より子どもっぽくなったとも思います。14歳の自分と比べたら、知識や経験を付けただけ。知らない間にできちゃうことや、ある程度「こうすれば生きていける」ということは身に付くじゃないですか。でも、ふと1人になったときや親しい友だちと会ったとき、「それじゃ無理なんだよ!」みたいになって。わがままを言ったり感情をぶつけてしまって、小梅のようなところも出てきました。
――『猿楽町で会いましょう』に『うみべの女の子』と主演作の公開が続きますが、石川さんはキラキラ系でない生々しい青春ものは、抜群にハマりますね。
石川 キラキラしたいんですけどね(笑)。確かに「面倒くさい」と言われちゃう女の子の役は多くて。観る人によっては、メンヘラとか自己チューとか、ひと言で片付けられてしまうこともありますけど、それもちゃんと受け止めて、成長に繋げられたら。辛い役でも演じるのは楽しいし、自分で観て「いい映画だな」と思えるのが、いちばんいいことですね。
Profile
石川瑠華(いしかわ・るか)
1997年3月22日生まれ、埼玉県出身。
2019年に公開の上田慎一郎監督らの映画『イソップの思うツボ』にオーディションで選ばれて主演。同年に主演した『ビート・パー・MIZU』で「MOOSIC LAB2019」短編部門の最優秀女優賞。他の主な出演作は、映画『左様なら』、『恐怖人形』、『stay』、『猿楽町で会いましょう』、ドラマ『13』、『スポットライト』など。
『うみべの女の子』
原作/浅野いにお 監督・脚本・編集/ウエダアツシ 配給/スタイルジャム
8月20日より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかで公開