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長野「公園廃止問題」を考える時の参考事例、子ども活動センター騒音訴訟

橋本典久騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授
(写真:イメージマート)

 長野市の青木島遊園地の廃止問題がSNSなどで大きな話題となっている。この問題に対する筆者の見解は、東洋経済オンラインから執筆依頼を受けて書いた記事「「公園廃止問題」苦情住民だけが悪いと言えない訳」の通りであるが、その内容の補足として同様の騒音トラブル事例を紹介する。トラブルの発生から最終的に訴訟上の和解に至るまでの詳細な流れを時系列にそって示したものであるが、トラブル当事者双方の心理などを理解するうえで参考になると考えるからである。これを読んで、一人一人が騒音問題の本質を自分で考える切っ掛けにしてもらいたいと思っている。なお、この内容は、筆者の著作「騒音トラブル防止のための近隣騒音訴訟および騒音事件の事例分析 -裁判資料調査に基づく代表的13件の詳細事例集-」よりの抜粋であり、場所や名前などは匿名としている。

トラブルとなった対象施設

 今回、被告として訴えられた施設は、児童福祉法に定める児童厚生施設として昭和56年に設置されたものである。施設建物は2階建で、1階部分には老人福祉センターがあり、その2階に子ども活動センター(仮称)が入っている。学習室や集会室、図書室などの他に事務室等の諸室がある。同様の施設は市内各地に53箇所設置されており、この活動センターもその一つであり、比較的古くに作られたものである。

建物の横にはスロープになった道路があり、それを南方向に下ると建物裏にある400平米ほどの空き地にでる。そこは子ども達が遊ぶプレイパークとして利用されており、南側と西側には木立があり、東側に今回訴訟の原告の家が建っている。原告宅は広場から見ると3m程度の擁壁のある高台に建っているが、広場との境界からは1mほど離れているだけなので、窓などが直接広場に面した状態となっている。

現地見取り図(著者作成)
現地見取り図(著者作成)

なお、騒音に関する規制については「公害防止等生活環境の保全に関する条例」があり、この地域は第1種低層住居専用地域であるため、規制基準は、午前8時から午後6時までは50デシベル、午前6時から午前8時まで、および午後6時から午後11時までは45デシベル、午後11時から午前6時までは40デシベルとなっている。

近隣からの苦情の発生

 原告はプレイパーク横に居住する夫婦であり、センター設置の15年後の平成8年12月に現在地に自宅を新築し、転入してきた。自宅を新築するときに当然敷地を見に来ていたが、広場があるのは知っていたものの、当時はそれほど大きな騒音が発生するとは認識していなかったという。ところが、いざ住み始めると、3階建てほどのやぐら、通称、太陽のやぐらから張られたターザンロープで遊ぶキャーキャーという悲鳴、ログハウスの小屋の屋根に上って大声で遊ぶ声、滑り台を騒ぎながら滑り降りる歓声など、子どもの遊ぶ声が響きわたり、また、炊事場で火焚きをする煙や砂埃も酷く、翌年の平成9年には被告の活動センターと市に手紙やメールで改善の苦情申立を行った。

 その後も、市やセンターに対する苦情が何回か行われたが、特に状況の改善はなく、原告の妻は次第に騒音による精神的苦痛を強く訴えるようになっていった。その状況を更に大きく変えたのが、休館日の廃止であった。当初、センターは毎週日曜、月曜、および祝日は休館としていたが、すでに苦情が発生していた平成9年の9月に月曜も開館することに変更され、更に、平成15年には日曜、祝日の休館日も全廃され、年末年始以外は常にプレイパークを含めてセンターの利用が可能となった。利用時間は朝の9時半から夜の9時までであり、児童の団体がまとまって利用する場合などには、かなり大きな騒音が発生する状況となった。何より原告妻に大きな衝撃を与えたと考えられるのは、原告妻が休館日の廃止を知ったのが広報誌によるものだったということであり、事前に何の説明もなかったことであった。これは、反対されることを見越して意図的に説明をしなかったのか、これまで苦情があったことを軽く見ていたのか、その理由は分からないが、状況を客観的に考えれば配慮が不足していたことは間違いないであろう。原告妻の証言でも「これから先、ここでずっと一生暮らすのに、これから一体どうしたらいいんだろうと目の前が真っ暗になる思いだった」と述べている。間が悪いことに、この頃、原告夫は関西に単身赴任となっており、残された妻は騒音について一人思い悩む日々が続き、自殺まで考えるようになったと夫は供述している。夫は妻を心配して毎週新幹線で帰宅しなければならず、仕事と妻への対応に忙殺されることとなった。この頃、自宅に帰ると家の壁に傷跡が沢山できており、妻に問いただすと、気持ちを抑えきれなくなって、掃除機などを壁にぶつけてしまったと答えたということであった。

騒音苦情に対する交渉経緯

 平成18年7月、原告夫は、何とか状況を改善したいと市の担当者らと交渉し、自宅の近くにあった滑り台の撤去を要求した。被告側は9月に、原告の要求に応じて滑り台を撤去したが、この際、滑り台を撤去してくれればその他の子どもの声は容認すると原告夫が言ったと被告側はいい、原告夫は証人尋問で、被告側が、滑り台を撤去する変わりに、今後、一切苦情を言わないという念書を書いてくれといったが、念書は書かず、口約束もしなかったと供述し、これは言論の自由にも反する事柄であり、そんなことは言う筈がないと断言した。その他、原告からは樹木の剪定や、開館前にプレイパークに立ち入らないよう注意するよう要望があり、被告側は注意書きを貼ったり、プラスチックワイヤーなども設置して対応した。また、ログハウスの上に登らないなどの広場利用に関する申し合わせなども行い、近隣に配慮するよう看板を設置して周知を行った。

広場の利用等に関しては、利用者団体などで構成される運営協議会で決定されることになっており、原告らもこれに出席して意見を述べることもあったが、被告側の対応は、これはあくまでオブザーバーとしての参加であり、希望するなら運営協議会への参加に異を唱えるものではないという消極的なものであった。利用者団体の中には、原告らを快く思わない者もおり、配慮にかける行動も見られた。特にAクラブは、土曜日に40人程度の団体でプレイパークを訪れ、子どもを自然の中で元気に遊ばせるという趣旨で、泥すべりやターザンロープなどで大声や奇声を発することも度々であった。原告らが、Aクラブの指導員にやめてくれるように言っても、そういう話はセンターの方に言ってくれの一点張りで、全く取り合ってはくれなかったと原告は述べている。

 状況が更に大きく悪化する契機となったのは、平成20年4月にセンターの館長が交代となり、新たに女性の館長Bが赴任したことである。館長Bは、赴任した時に本件についてのこれまでの状況を引継ぎで聞いており、証人尋問においても「これまで滑り台を撤去したり、お話を聞いていろいろ対応をしているが、未だに苦情が収まらない」と聞いたことを証言している。しかし、赴任当初は、館長Bは自分なりに誠実に対応し、事案の解決を図りたいと思い、原告宅に行って趣味の話をしたり、一緒にお茶を飲んだりしていた。また、センターの夏祭りや風の子祭りのイベントが行われる時には、館長自身がビラを持って挨拶に言ったりもしていたが、8月頃になると、原告宅を訪ねても相手が姿を見せなくなり、コミュニケーションが取れない状態となった。原告妻は、一日1回はセンターに電話を掛けてきて、スタッフに30分から1時間クレームを言ったというが、館長はこれらに丁寧に対応してきたと強く主張している。原告妻からの苦情に関しては、赴任した平成20年4月から翌年の7月まで、職員の対応記録として、電話苦情の内容やその対応、その時のプレイパークの利用人数などを詳細に記録に残している。何かあったときの備えとして記録をつけていたものと考えられる。なお、原告側も、同時期に関してプレイパークの騒音状況の記録を残している。

クレーマー扱い

 館長が尋ねても原告が会おうとしなくなった理由は、館長に対する不信感であり、原告妻は、館長の誠実そうな対応は表面だけで信用できないと言うようになった。館長側でも、次第に苦情対応に苛立つようになり、平成年20年8月下旬の「水撒きをしてほしい」という原告からの要請に、館長は「水撒きはお宅から言われなくても、こちらの判断でします」と突っぱね、翌年、1月の長時間のボール遊びでうるさいという電話苦情に対しても、「はっきりいいます。遊び等のルールは作る気はありません」と発言するようになっていた。その後の両者の関係は更に悪化し、原告夫の証言では、運営委員会の議事録で、館長が原告らをクレーマーであると断言しており、「原告らのように言ったもん勝ちにならないようにしなければならない」と、利用団体の前で発言したと指摘している。議事録文面では「現在、当市において、ある特定の市民の方からの理不尽な要求のために、市の施設が改善を繰り返しさせられるという事態が起きています。クレーマーに負けてはならない」と記載されている。更に、館長は、センターを支援する署名集めも行い、多くの利用団体から署名が集まり、その中には、原告らを完全にクレーマーと決めつけた、非常にひどい文章が一杯出てきたと原告は証言している。「市と市民活動センターは原告らの不当な要求に負けないで下さい。応援します」というものや、裁判の時の裁判長に宛てた書面では「クレーマーへの対応について」と題して、「原告らには、私達以外の団体が長い間苦しめられて、譲歩し続けてきた。常識を超えた、病的執拗性をもったクレーマーが自分の権利を主張するならば、同じ地域に住む住民として我々の権利も主張したいのです」などと書かれたものもあった。 

市側の対応

 市側の担当者は、平成18年に初めて原告らと会って苦情を受けたが、調べてみると平成9年に苦情が寄せられていた記録がみつかったと述べている。平成18年までは、とくに苦情に対する対応は取られていなかったが、それ以降は、原告からの手紙やメールに対し、施設の設置者として必要な措置を実施し、苦情にもその都度回答を行うなど、誠実な対応を続けてきたと主張している。特に、原告夫からは「妻は自ら遺書をしたためたと申しております。心身ともに疲れております。自らの命を絶つつもりでおります」などのメールも寄せられていたことから、「非常に悩んで相談に来られたことは理解しているため、何とか力になってゆこうと、これまでも紳士的に対応してきており、乱暴なことは言っていない。原告らとの話し合いの場も設け、センターや運営委員会へも働きかけ、話し合いの場を設けるなどの努力をしてきた」と述べている。しかし、原告らは「市側らが申し入れに対処したのは、唯一、滑り台の撤去だけであり、その他は有効な対策を行っておらず不十分である」と主張した。

 原告らは、平成20年10月に、騒音問題について市議会に陳情も行った。内容は、施設を近隣に迷惑を掛けない環境地へ移転させること、または、防音設備の設置と煙の出る火焚きの禁止、及び、少なくとも週2日の休日設定の要求であった。しかし、その陳情について1度審議がなされたものの、その後は、審議が行われることはなく、何らかの決議がなされることもなかった。

 平成21年には、両者の和解に向けての協議も行われた。原告側の要望は、防音塀の設置、日曜・祝日の一律利用禁止、プレイパーク利用時間の変更、原告の運営協議会への参加などであるが、被告の市は、防音塀は敷地に高低差があるため大がかりとなり、費用が5000万円近くかかってしまい、個人のために市からこのような支出はできないと拒否、その他の項目に対しても応じることはできないと拒否した。センター側は、プレイパークの利用について、利用者に掲示板や印刷物で注意事項を周知するとも提案したが、原告夫婦は、これまで個別に注意しても聞こうとしなかったとして、改善の見込みは無いと拒絶した。結局、和解協議は成立しなかった。

仮処分申請から本訴訟へ

 翌年の平成22年に入ると、原告側は遂に、地方裁判所に騒音の差し止めを求める仮処分の申し立てを行った。雇った弁護士は、市民公園での噴水で遊ぶ子供の声の差し止め仮処分申請の保全事件(騒音訴訟記録NO.3)を扱い、噴水の停止決定を勝ちとった弁護士であり、同様の仮処分での経験を期待しての依頼であったと思われる。申し立ての内容は、自宅の敷地境界線上において、午前八時から午後六時までの間は五〇デシベルを超える騒音を、午後六時から午後九時までの間は四五デシベルを超える騒音を到達させてはならないというものである。

 原告らは、最初は市から借用した騒音計で複数回の騒音測定を行うとともに、仮処分申し立てや訴訟では、証拠価値を高めるために計量証明事業所の測定結果が必要と考え、騒音コンサルタント事務所に依頼して、2度にわたって騒音の測定を行った。測定結果は60dBが中心で、最大値では80dBを超す場合もあったという。市側も別のコンサルタントに依頼して騒音測定を実施した。90%レンジの上端値(L5)で概ね50dB台が中心であったが、子供の叫び声やバケツをける音などでは、やはり最大値が80dBを超えるものも記録された。

 平成22年5月には、仮処分の決定が下された。子どもの声が50dBを超えることも頻繁にあり、夫婦に精神的苦痛を与えていることは否定できないとしつつも、結論としては、債権者(原告ら)の申し立てはいずれも却下された。その理由は、

(1)子どもの声の大きさは概ね50dB程度と、静かな事務所の程度であり、これをうるさく感じるかどうかは主観的要素が大きいこと。

(2)債権者(原告)妻の精神的苦痛は、精神的不快感を示しているに過ぎないこと。

(3)センターのプレイパークは平成20年には年間3万600人余りが利用しており、子供の健全育成に貢献していること。

(4)センター側は、これまで滑り台の撤去や樹木の剪定などの対応を実施しており、不誠実な対応とはいえないこと。

(5)債権者(原告ら)は、センターが設置運営されてから15年後に自宅を新築して居住していること。

などであり、これらを総合すると、差し止めには理由がないとした。

 仮処分の却下の決定が下された後、4か月後の平成22年9月3日には、この決定を不服として、騒音の防止と損害賠償を求めて地方裁判所に本訴訟が提起された。請求内容は、

(1)自宅敷地境界上において、午前8時から午後6時までは50dB、午後6時から9時までは45dBを超える騒音を到達させてはならない。

(2)これまでの騒音被害の損害賠償として夫に180万円、妻に360万円を支払え。

というものである。その後、2度の追加請求がなされ、一つは騒音の測定費用89万7530円を含めて夫に104万円を、妻には治療費として17万円を追加として支払えというものであり、2度目の変更申し立ては、騒音を到達させてはならない期日を、判決確定の日から6ヶ月以内に変更するというものであり、これは利用の差し止めが目的ではなく、利用を確保しながら防音塀などの措置をとらせるためであるとしている。

これに対し、被告側が提出した「訴状に対する答弁書」では、

(1)子どもの声は、公害でいう騒音とは異質なものであり、これを騒音として扱うことには争う。子どもの声は騒音問題ではなく煩音問題である。

(2)原告は、室内での騒音レベルが60から70dB、時には80dB以上になったと主張するが、このことについては争う。これは戸を閉め切った状態での室内での値ではなく、扉を10cmほど開けておき、その隙間にマイクを置いて計ったものである。騒音は室内での騒音レベルを問題とすべきである。

(3)原告の依頼で測定を行ったコンサルタントの結果には、計量証明書が添付されておらず、証拠とならない。

(4)他の近隣からは一切苦情は発生していない、などの反論を行った。

その後、原告被告両者とも、準備書面やその答弁書、あるいは証人尋問で激しく応酬を繰り返し、お互いの主張を繰り広げた。

原告らは、訴状に対する被告らの答弁書についても、準備書面で次のように述べた。

(1)市は自らが行った「生活騒音対策のための社会調査」で、「子どもの遊び音」が上位に掲載されており、これを騒音でないという主張は矛盾している。

(2)騒音の影響を、窓を閉め切った時の室内の騒音に限るのは誤りである。

(3)原告妻は、精神内科に通院し、ストレスによる虚血性腸炎下血で救急治療も受けており、帯状疱疹も発症した。重大な被害を被っている。

(4)被告らはこれらの状況にも拘らず、漫然と施設を放置。管理、指導、監督義務を怠った、と主張した。

 これに対し被告らは、

(1)施設は「子どもの権利に関する条例」に基づく役割を果たしており、年間の利用者は3万6460人に上り、公益性があること。

(2)この施設が先にあり、そこに被告が自宅を建てたという先住関係が存在する。

(3)提出された原告妻の診断書において、症状が騒音被害によるものとは医師は考えておらず、被害は主観的なものである、と反論した。

 これに対し原告らは、

(1)他の近隣からは一切苦情が出ていないというが、広場に面した家は原告と隣家の2軒だけであり、隣の家は小学生の子どもがいるため苦情を言えないだけである。

(2)先住関係についても、仕事の関係で日曜しか現地を見られなかったが、敷地購入時の平成8年には、日曜が休館日であり、プレイパークも休みで、特に子どもの声がうるさいという感じも無かった。

(3)私たちは防音設備を設置してほしいと要求しているだけである。個人のためには一切お金をだせないということでは通らない。

(4)被告らのこれまでの対策は、唯一、滑り台を撤去しただけであり、その間、利用日を増やし、利用者を増加させてきている。

(5)そればかりか、原告らを悪者にし、クレーマー扱いして、利用者に原告らを非難させている。運営委員会の参加者には、原告らをクレーマー呼ばわりする発言をする人が複数いる。これは、問題に真摯に向き合っていない何よりの証左である。

(6)陳情を行った後、市議会の議員が「行政として陳情者の方と手を取り合ってやってゆく自信はありますか」と質問したのに対し、市は「これからも引き続き対応してまいります」と回答しているが、実際は何の対応もない。

(7)被告らは、騒音の被害は主観的なものと主張しているが、騒音の「高感受性群」については、受忍限度の判断でも「被害者側の事情」として考慮されるべきである。

(8)同種事案の公園での子供の遊び声についても噴水停止の仮処分が取り消されているという主張は、債権者が死亡したためであるにすぎない、などの点を陳述した。

更に、別の準備書面で原告は、

(1)被告らは、子どもの声は煩音であって騒音ではないと強弁して、何ら対策をとろうとしないが、煩音の概念は、近隣騒音において騒音発生者と被害者に間の相互のコミュニケーションや改善措置を講ずることによって、その被害感を和らげようという発想のもとに提唱されたものであり、「煩音」と名付けたからといって、「近隣騒音」が騒音でなくなるわけではない。

(2)幼児の「キャー」、「ギャー(泣き声)」という、奇声、大声、棒で叩く音、ボールをける音などは、工場よりひどい騒音であり、同種事案である噴水での遊び声の場合よりも侵害の程度は大きい。

(3)被告らは、口では「円満解決」といながら、何ら有効な対策を講じていない。状況はいっそう酷くなっており、騒音も低下していない、と強く抗議をした。

 被告らは、何の対応もしなかったという主張には強く争うとし、プラスチック製の防音塀を設置するようにという要求についても、高低差があるため高さが10mにもなってしまい、費用も莫大であり、風通しも悪くなるので子どもがのびのび遊べなくなるとしてこれを拒否したことを述べた。

和解による終結

 裁判では、計11回の弁論が行われ、証人尋問では、相手の弁護士から「異議あり」の声がかかるなど、熾烈なやり取りが繰り広げられた。そんな中、平成25年の4月には、5年間勤めたセンターの館長が交代となり、新しい館長が赴任して状況の変化が見られた。これと期を合わせるように、裁判所が和解の受命裁判官を指名し、原告被告両者に和解協議に入るよう強い指導が行われ、最終的に平成25年5月、両者の間で訴訟上の和解が成立した。和解内容は、原告が自宅の窓を2重窓へ防音化することを条件に、その費用の一部(半分程度)として80万円を被告側が負担すること、月1回のプレイパークの利用停止、プレイパークの利用時間を5時半(冬季は5時)までとすること、その他、樹木の剪定、水撒き、火焚きに関する注意などである。(詳細は後述)

 和解は裁判所からの強い和解勧告によるものであり、当事者からの提案ではない。原告被告とも、判決までの展開を予想していたものと思えるが、この決着にどのような思いを持っているかは不明である。なお、和解から4ヶ月が経った9月になった時点でも、まだ、原告宅の窓の防音工事は行われていなかった。

 また、市が和解金80万円を支払うことで合意したことに関して、市議会市民常任委員会で審議がなされたが、子どもの声を市が騒音と認めることに各会派が反発し、「子どもの権利条例」で遊ぶことの権利が保障されているのに、市の対応は条例違反ではないかと問う意見や、他の施設で同様の動きが広がるのではないかという懸念、全国の先例となる事案であり、最高裁まで闘うべきではないか、などの意見が噴出し審議は紛糾した。これらに対し、市の担当部長は「他の施設で苦情が入ることもあるが、職員が真摯に対応しており、訴訟が生じる可能性は無い」と、市長は「子どもの成長に遊びや自然体験は大変重要であり、子どもが生き生きと遊べる環境の確保に努めたい」と述べるに留まった。

 長い裁判を闘ったのち、判決を目前にして裁判所の強い要請で和解という決着をみたが、これは原告、被告ともに決して満足の出来るものではなかったと思われる。

 この事例に対する著者の分析は引用書籍内に書かれているが、敢えてそれは省略した。読者自身が分析を試み、それを通して長野市・青木島遊園地の問題にも適正な評価をして頂きたい。

騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授

福井県生まれ。東京工業大学・建築学科卒業。東京大学より博士(工学)。建設会社技術研究所勤務の後、八戸工業大学大学院教授を経て、八戸工業大学名誉教授。現在は、騒音問題総合研究所代表。1級建築士、環境計量士の資格を有す。元民事調停委員。専門は音環境工学、特に騒音トラブル、建築音響、騒音振動、環境心理。著書に、「2階で子どもを走らせるな!」(光文社新書)、「苦情社会の騒音トラブル学」(新曜社)、「騒音トラブル防止のための近隣騒音訴訟および騒音事件の事例分析」(Amazon)他多数。日本建築学会・学会賞、著作賞、日本音響学会・技術開発賞、等受賞。我が国での近隣トラブル解決センター設立を目指して活動中。

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